2018年10月2日火曜日

山本弘 展

 山本弘という画家の名をどこで知ったか、定かではないが、そんなに遠い昔ではない。9月24日から9月29日までの間、渋谷のアートギャラリー道玄坂で、個展が開催されると知った。作品の一部をWEBの画像で見たとき、この作家は自分にとって精神的に必要な作家ではあるまいか、と自分勝手な思い込みを持った。目撃しなければならないと直感した。この展覧会の企画は、美術界では著名な曽根原正好さんであり、この画家とは深い関わりがあるということであった。
 画廊があるこの近辺は、渋谷マークシティという若者の欲望を満たすに余りある近代的な建物ができる前は、猥雑な感じのする場所であった。それでもまだそんな雰囲気のある路地が伸びるところにアートギャラリー道玄坂はあった。今流行りの小洒落た真っ白な壁をもつギャラリーではなく、飲食店の間に間借でもするように存在している。おおげさに主張するのではなく、何かしら申し訳なさそうに、はにかんでいるような印象を受ける。画廊のドアにさしかかると、ガラスの扉越しに強い画面が目に突き刺さる。そして奥に曽根原さんらしき姿が見える。

 中に入り、まずさっと全体を見渡す。瞬間、何か懐かしいような感覚に襲われる。この懐かしさという感覚の実態はなんだろう。作品ひとつひとつを辿って行くことにする。




























 ペインティングナイフ(パレットナイフかもしれない)をぐいぐい押し当て、前の色面と新たな色面が瞬間瞬間に変化して行く。そして筆で削りとるような描画が、荒々しい痕跡を抑える柔らかさを醸し出している。すっと現れた命の有り様かもしれない。


 「過疎の村」という題名。この言葉に囚われると、右にあるのが電柱ではないだろうか、と想像してしまう。しかし、この中間色には寒々しい過疎というイメージは湧いてこない。とすると、過疎という規定のイメージあるいは固定観念的な情報に囚われることの無意味性をも感じてくる。偶然の表出であろうが、真ん中に見えるのが幼児の顔にも思える。作者の意図とはかけ離れてしまうかもしれないが、私にとってはホッと息をつくことができる静かさを感じる。

     

 なんという早書きだろう。白をグイと一発で決めることで、赤が浮かびあがってくる。この力量は特筆に値する。



 

 この黒は、何を意味しているか。画面としては私が好きな構図であり形体がドカンと存在している。抗うことができない現実、それは坂のようなものか、全てを意味論で捉えることを私は拒絶するが、銀の四角は、決然とした意志の存在のような気がする。だからこそ盛り上がっている。




 これもまたいい作品だ。「窓」と聞けば、それはそれでハハンと理解できるが、それは単に絵図らを理解するだけにすぎない。画面を壊す構図は、おそらく公教育をすんなり受けて育った人にはムズカシイだろう。「窓」ならば、その窓とは一体なんなのだろう。通常の建物の窓、心の窓、などなど「窓」という語の比喩表現は少なくない。窓とは境界にある空間を繋ぐもの。その両界の片側の世界は、作者自身ののっぴきならない現実であるかもしれない。両界が同じであるなら窓は無い。しかし窓があるというのは両界が違うことを指し示している。現実的な建造物でもそうである。作者は、このことを身に沁みて感じていたのではないかだろうか。「岡本太郎の赤は鮮血の赤」というが、この作家の赤は自らの血の比喩であるのかもしれない。この絵を凝視してみる。家の中が自分自身の現実であり、真っ赤なのだと同時に、家の外も真っ赤だ。だとすると、この白い空間はなんなのだろう。向こうにある異界?望み?憧れ?悔恨?

     

 「河童」でなくてもいい。きれいな作品だ。右手を肘からすうーっと持ち上げたポーズ。舞踏の仕草のようで、心惹かれる。




 「灰色の家」という題名があると、それに沿って作品を理解しようとする。絵と題名の関係。画家にとって題名の重要性はなんだろうと考えはじめて久しい。「絵には題名があるものだ」確かにこの考えは世の中では共有している事実だ。小説・音楽・絵などなど、必ず題名がある。もちろん「無題」とか「失題」という題もある。他のものと分けて、それを確認するものなのだろうか。
 花を描いて、「花」と名付け、海を描いて「海」と名付ける。作品に語を付すことによって、その作品がいま目の前になくても、「山本弘の『灰色の家』という作品なんだけど」「あっあの五角形の絵ね」「そうそう、それなんだけど」なんて会話がなされることもある。題名は作品を示す語としてとても便利だ。しかし作家は、「家」と名付けるのではなく、「灰色の家」と形容詞をつける。その画家の意志だ。私の個人的な妄想だが、「題名とはどうあるべきか」というのが気になって仕方がない。なぜなら題名によって、作品の見え方が違ってくるからだ。逆に手がかりにもなる。しかし、作品世界を作家自身が枠付けしてしまうことになりはしないだろうか。こんなことを言っていると、多くの作家たちに失笑されるかもしれないが、「題名の文学性」ということもある。以前「Untitled」という題を付けて、「またか、なんだか分かんない」と言われたことがある。人は作品理解のために言葉を必要とするし、思考するということは言語活動でもある。「付けると、なんでこんな題なのだと言われ、付けないとなんで付けないんだと言われる。」この妄想に帰着点がない。グダグダと余談になってしまった。
 もとにもどる。画面の五角形は、数学としての意味もあり、象徴記号の意味もある。しかし、作家は家と名付けた。それも「灰色」と。たしかに灰色である。しかし、これは灰色で描いたから「灰色」と理解するのでは単純すぎる。「灰色の家」という言葉で、すでに見る者は、ある共通のイメージが湧き上がってくる。そしてその絵を読み解こうとする。よく見てみると、灰色の中に家を包むように、やわらかいベージュの色がある。陰鬱なばかりの家ではなさそうにも思える。希望への比喩か、どうしてこの題なのだろうか。


        

 「沼」とは作者にとって何か意味するものがあるのだろうか。作家論として、詳細に人生をたどってみると沼につきあたるのかもしれない。沼についての神話的物語もあるからだ。古来日本の文芸の世界、あるいは地方の農村での個人的な体験などなど。文学的な見方に過ぎるかもしれない。では画面としてはどうなのだ。濁った色のなかに緑の線が見える。上には雲のような明るいグレーがある。図としては風景の一部を示していると見ることは確かにできる感じる。バランスはいい。抽象と具象の際にいる。



           
      

 
「ピエロ」たしかにピエロにみえる。どこで判断できるか、鼻が赤く丸いからだ。その他では判断できない。赤鼻がないと、かろうじて人物であるだろうとは理解できる。曽根原さんが言うには、作者はスーチンが好きだったと。たしかにスーチンの影響は感じられる。この絵は力強い。物語性よりも造形性が際立っている。この人物の処理の仕方、筆のさばきかた。ナイフの使い方。みごと過ぎて、この絵の前に立つと自我などは打ち壊されてしまう。疑問がひとつ、なぜ(ピエロ)と括弧付きなのだろう。「ピエロだけれど、これはあなた自身ですよ」と語りかけているのだろうか。


         


 題名「削り道」とは。なんとも理解し難い。抽象として理解したいと思うが、具象の極北に現れた抽象的世界観と言えばいいかもしれない。画面のこの部分は何で、この部分は何かのようだ、という理解の仕方をこの作品は要求していないように思える。描画を拒むように、ナイフで塗り込まれ、それでも筆を捨てられなく、画面に拮抗して行く。いったい何を削っているというのだ。まさか己の命さえ削ろうとしているのか。





 「土蔵」潔い作品だ。これも土蔵と言われれば、土蔵とみるしかない。生活の近辺に土蔵があったのだろうが、それを画題として選ぶ作家自身の意味がある。そしてそれは作家によって同じ土蔵を描いたとしても一様ではない。このアンバランスな形体は実際の土蔵がこのような形をしてたからなのか、しかしこのような描き方ならば作家自身が自由に形を変えてしかるべきである。では、この形体は作家自身がこだわったものなのか。現地で確認すればとおりあえずの確認はできるだろうと思うが、いまあるかどうかはわからない。しかし、自由な表現だ。おそらく土蔵という何かにこだわっているのだろう。

 不思議に作品を見ていると、作者の深層心理まで降りて行く自分が感じられる。そこは、作者の内面にある深い井戸なのかもしれない。ひょっとしたらそこは底なしだ。私は勝手にそこに縄梯を下ろして降りてみる。曽根原さんが誰かに作者の人となりを説明している。ときどきそれが耳に届いてくる。「生前まったく売れなかった、そして酒浸りの生活。地元飯田町では軽蔑される存在。」そのような芸術家たちは少なくはない。私の故郷青森でも太宰治は「かまど返し」といわれていた。幼いころよくそんな話を聞いた。家の財産を食い荒らし、不良の限りを尽くす。かまど返し。釜戸をひっくり返す。棟方志功は役場のお茶汲みで、ズボンは縄バンドで縛っていた。寺山修司は無視。地元はなかなか異端を認めない。日本の文化意識もそうかもしれない。海外で評価されてはじめて認めるのはよくある。最後は自死というこの作家、文学的に評すれば無頼派ということになるだろうが、この作品の持つ凄みは時代を超えている。
 早書きの筆やナイフはぐいぐいと画布にめり込んで行く。私はそれを「描画の身体性」と名付けてみたい。その昔、西洋の画家たちは板に描いていた。アトリエで顔料を砕いて絵の具を作り、時間をかけて描いてゆく。そして、1800年代になり、金属チューブの絵の具が開発され、そして木枠のキャンバスも開発され画家たちはアトリエから外に出ることが可能になった。特に印象派の作家たちはこぞって屋外で作品を描いた。画材の開発が製作の革命をもたらした。その木枠に張られたキャンバスの特徴は、軽いという利点以外に、何かがある・・・・・・・そのひとつは「抵抗感」だと私は思う。
 十代後半のころ、はじめて油絵に手を染め、ベニヤ板でパネルを作りそれに油絵を描いていた。安価なので学ッコのセンセイもそれを推奨した。自由に大きな作品も作れた。板は固く、塗るという感覚に近いものだったかもしれない。筆はやはり長持ちしなかった。たまに購入する高価な張りキャンバスは、小さなものしか買えなかったが、筆で押し込むとキャンバス自体の跳ね返りがあった。指から腕にキャンバスの力が押し返してくる。なんとも気持ちのよい感覚だった。あこがれの画家たちは、こんな感じで描いていたのだと思った。今思う、この拮抗する力の系譜があるのではないか。ぐいぐい描く作家たち。代表的なのはゴッホかもしれない。私の好きな佐伯祐三もそうだ。長谷川利行も。点描は色を置いて行く行為なので、やや違う。グイと押して引いても、キャンバスの凹凸が色を捕まえてくれる。作家はギリギリの力でキャンバスの力に拮抗して行く。おのずから早書きになってくる。そして、この一連の作家たちの人生とキャンバスへ向かう物理的な力は、どこかで繋がっているのではないだろうか。またまた幻想であるが、何を描くかとか、どう描くかとかとは違う次元のこと。行為と身体。山本弘という画家のキャンバスに向かう意志の力は、その腕の力、筆圧に現れ、画布に突き刺さって行く。先日、詩人の吉増剛造が言っていたが、文字を書くというのは、言葉を突き刺して行くのだ、と。確かに吉増は銅板に文字を刻むこともしている。最初に感じた、ある懐かしさというのは、あこがれの画家たちの、筆の圧力を感じたのかもしれない。そして山本弘という、この、のっぴきならない画家の人生は、画布に言葉を突き刺しながら、色も突き刺しているのかもしれない。思えば、昔も今も物欲しげにせかせか動いている芸術家や学者のなんと多いことか。
そんな人たちへの強烈な反撃を感じる。
 またまた私の自我は、この作品群の前で、いとも簡単に打ち砕かれてしまった。しかし、心の中に確かに種が撒かれた。
 この作家を紹介する曽根原さんの仕事も、社会的に崇高な行為であると確信し、手を合わせる思いで画廊を後にした。