2014年12月29日月曜日

暴政(お金お金)

 2014年の選挙は、やはり予想通り自民党が勝った。予想通り、何の変化もなく、誰もがそう思っていた。小渕も松島も許され、集団的自衛権も、改憲も、普天間移転も、原発再稼働も、全ては信任されたと内閣は思っているフシがある。つまり今回の選挙は、自民党が行う全てのことに対する『国民投票』だと判断すべきである。事実安倍総理の発言のはしはしにそれを感じる。「国民に丁寧にご説明して行く」のだから、説明すればそれでいいのだ。そして日本国民のほとんどは、それでいいという判断をしたのだ。選挙に行かないというのも、行かないことは自民を支持したということになる。
 原発再稼働に関しては、その地域に助成金を増やす。普天間基地移転に反対している沖縄は、財政支援予算を削る。「おら、おら、おら、金欲しいだろう。協力したらこの金やるぞ、しないなら金あげないよ。どっちがいい。」札ビラで相手の頬をピタピタ叩いているヤクザ者。暴力団や地上げ屋とどこが違うのだろう。この国はどこかの共産国と同じではないだろうか。最近そう思えて仕方がない。

選挙にかけたお金、約700億円。
 
オスプレイ購入費、一機108億円。5機で540億円。
 
 クールジャパン機構、出資金300億円(政府)75億円(民間)今後出資金が増え、
官民合わせて900億を予定している。
 2014年パリでラーメンウィークを開催。博多の「一風堂」を展開する力の原ホールディングス(福岡市)に、約7億円を出資する。
 ラーメンウイークは2020年まで毎年開催の予定。

  お金がある。なぜある。どこから出る。税金?

 私は、自民党には投票しなかった。野党の票が散らばってしまい。政権が成立できない状態になってもいいと思った。いっそそのような状態になったほうがいいと思った。

2014年12月21日日曜日

おやすみなさいを言いたくて

おやすみなさいを言いたくて  原題:『A Thousand Times Good Night』
   監督:エーリク・ポッペ 脚本:ハーラル・ローセンローヴ・エーグ
               2013 ニルウェー/アイルランド/スウェーデン

 「何千回ものグッドナイト」・・・・『Good Night]』という言葉には幸せの響きが感じられる。母親が「おやすみ」と声をかける、こどもは「おやすみなさい」と応える。それは幸福の原風景だ。しかし、この世界にはそのような風景を感じることができない鈍色の世界があることも確かだ。
 アフガニスタン・カブール。埋葬がとりおこなわれているようだ。深い墓穴にひとりの女性が横たえられ、周りのひとびとは嘆きながらお祈りを捧げている。そのようすを写すシャッター音がひっきりなしに響く。女性報道カメラマンレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)のカメラだ。ファインダーの中の女性は、どこか穏やかな表情に見える。戦闘の犠牲にでもなったのだろうか。そんな想像を働かせながら見ていると、女性の瞼が開く「えっ、これはソ!」・・・「なんのため?」・・まさか「悲劇の捏造」
 しかし、この女性は墓に入ることができない運命をこれから担うというのが真実だった。不条理な真実だ。レベッカには夫と二人の子供がいた。突き上げる衝動を抑えることができないレベッカ。報道カメラマンとしての使命、それは「見捨てられた土地を世界に知らせる」ということ。自爆テロの巻き添えになり負傷するレベッカ。家族の苦しみは頂点に達する。我々が考えなければならない問題は山積している。
               (12月15日「角川シネマ有楽町」にて)

2014年10月13日月曜日

小川町セレナーデ

監督:脚本 原桂之介                     2014日本

 なかなかいい作品だった。なあんといっても田顕がいい味をだしている。もはや何でもできるエンターテナーか。ある町のある人々、スナック小夜子のママはガンバリ屋(須藤理彩)。なんだかんだありながらも明るい笑顔。わけありの娘と二人暮らし。借金まみれの店をなんとかしようと、娘の小夜子(藤本泉)と従業員亮子(小林きな子)が発奮、救済案は「オカマBAR」だった。涙あり笑いあり。
 何かがはじまれば、それはやがて終わる。でも終わった後は全てなくなるのではなく、忘れていた何ものかに気づき、再びやり直すきっかけになる。よくある日本の中途半端な往来にある、モルタルの家。側面はトタン葺き。スナック小夜子は特別でもなく、あちこちに似たようなものはゴロゴロある。ほとんど目にとまることもない。でもそれがわれわれの人生。この親子関係も普通によくある。オカマもたくさんいる。この作品のせつなさは、一般の人々のせつなさ。
 ふっ、と思ったのだが、オカマは「男女雇用機会均等」から外れる?どうだろう。男が女の格好をすると気味悪がられ、女が男の格好をすると、なんだか「マニッシュ」な感じで納得される。でもオカマっていいんだけどなあ。
 大杉蓮がラーメン屋の親父でちょい役。オカマのエンジェル(安田顕)がラーメンを食べ終わり百円玉をカウンターに並べたら、「百円多いよ」と。エンジェルがキョトンとしていると。「今日はレディズデーだから」と張り紙を指差す。この場面サイコーにいい。
 例によってなんの情報もなく、チラシを観ておもしろそうだと思った。いい作品と出会った。 いつか社会からFRREになったとき、そのテのおしゃれをしたいのだがなナアー。
ほんのちょっとだけ。
                        (2014•10•12 『角川シネマ新宿』)

2014年9月27日土曜日

『田淵安一展』鎌倉近代美術館

 2009年の11月、田淵安一がパリ郊外の自宅で亡くなった。享年88歳。昭和26年、30歳のころパリに渡り、以後フランスを中心にヨーロッパで活動した。元々東京大学で美術史を学び、大学院に進んだ後渡仏、パリではソルボンヌ大学に在籍した。ものごとを常に理論的に考える人だろう。当時のパリには岡本太郎、野見山暁治、菅井汲、佐野繁次郎、荻須高徳ら錚々たる人物がいた。この時代にパリに行くことは、よほど条件がそろってなければ叶わない。経済的な裏打ちと、決断力と、若さ。ということになるだろうか。しかし、けっこうな人々が渡仏している。
 久々の鎌倉近代美術館であった。個人的には、1955年「女の原型」(油彩)「火の大地」(水彩•クレヨン)1956年「水ー地』(水彩)1958年「沼に雨が降る」(油彩)が一番しっくりくる。田淵の作品は、時を経るにしたがってカラフルになる。ついには金箔すら使用するようになる。80年代後半「「黒い火山I」「黒い火山III」(油彩•金箔)1990年「インディアン•サマーIV」(油彩•金箔)の金箔の使い方は、日本画のそれだ。この作家は、何をどのように考え、どのようにして生きて来たのだろうか。
 


 鎌倉近代美術館は、来年春役割を終える。理由はこの土地は八幡宮の借地であり、その期限が来年切れ、更地にして戻さなければならないということだ。何度かここを訪れた。私個人にとっても思い出深い場所だ。これだけの歴史を刻んで来た美術館がいとも簡単になくなってしまうのは実に寂しい。保存運動が起きているらしいのだが、はたしてどうなるのだろうか。1951年、坂倉準三のモダニズム建築である。8月22日の暑い日、鎌倉ビールを飲みながら、そしていろいろ考えながら鎌倉の地を後にした



 

2014年8月24日日曜日

気まぐれ野郎メシ(野菜ひき肉あんかけ)


 さて、野菜を炒めて、その上にひき肉のあんかけをしただけのもの。冷蔵庫に野菜があり、どうしたものかとすこしばかり思案した。

 レンコン 1個  茄子数本  玉葱1個  ピーマン 2個  

 最初にレンコンを。その後ビーマン、茄子、玉葱の順で炒める。お皿に移して、ひき肉を炒めて水溶き片栗粉であんを作り、そのままお皿の野菜にかけただけ。ひき肉は沖縄そばの出汁と、鶏ガラスープのもとで味付け。いつもながらにいい加減な感じだ。

2014年8月20日水曜日

『泥酔懺悔』

 以前紹介した『泥酔懺悔』(筑摩書房)という単行本。
まあ、全員が全員泥酔しているわけではない。飲めない人の話も掲載されていた。しかし、私は何と言っても「泥酔」してしまった女性たちの話がとても面白く、興味深い。「酔って泣いて笑ってセックスしまくって傷つい」た学生時代の瀧波ユカリ。駅前のロータリーで泥酔の果てに意識を失い、救急車で運ばれた平松洋子。バーにひとりで入ってギムレットを飲むことを高らかに宣言している山崎ナオコーラ。下半身裸のままトイレの床にとぐろを巻いて倒れている三浦しをん。飲みだしたら途中でやめることができず、失敗ばかりしている角田光代。なんとも面白く豪傑な女性ばかりだろうか。日本はまだまだ大丈夫だ。

2014年8月8日金曜日

M.花田の優雅な日々(ヒトリ酒のススメ)

 さて、少しでも楽しい事をしていなければ••••?先日、知り合いの個展に出かけた。場所は神楽坂。Mさんの個展はいつもその画廊で行われる。坂の下にあるそのギャラリーは黒塗りの櫺子風の建物であり、いかにも神楽坂という印象を醸し出している。小さなスペースにたくさんの木工作品が置かれている。居酒屋にしてもいい感じの場所だ。
 当日わたしにはもうひとつの目論みがあった。ちょつと気になる居酒屋がある。早々に画廊を後にして、徒歩五分ばかりのところにある民家風の居酒屋に入った。まあ風というよりも、民家そのものだ。玄関先の土間は、立ち飲みの場所であり、座敷より少しばかり値段が安い。生ビールが400円で座敷よりも100円安い。クーラーはついていなく、扇風機が回っている。まずはビールだ。おつまみは「鯖のへしこ」、なんか通になった感じだ。カウンターの前に。お酒や料理に関する文庫本やら新刊書やらが無造作に立ててある。いきなりある本に目が止まった。「泥酔懺悔」という赤いカバーの本。めくってみると、11人の女性たちのエッセイだ。角田光代•室井滋•三浦しをん•山崎ナオコーラなどなど、なんだか面白そうだ。その後、福井県のお酒「黒龍」をたのみ、「うずらの唐揚げ」を注文した。うずらは卵だとばかり思っていたら、鳥のほうのうずらの唐揚げだった。当たり前か。生ビール一杯に冷や酒を一杯。帰りがけに本屋に寄って「泥酔懺悔」(筑摩書房)を購入した。
                         【8月4日夕暮れ時の神楽坂】

2014年8月3日日曜日

描画漫録ー題名の秘密(2014個展にさいして)

  

 まず、作品をつくりはじめたとき、『UNTITLED』や『WORK』という題名にした。20年前のことである。作品から物語性をなくすためのひとつの方法であった。文学的表現ならば文章で表現すべきであり、現代美術は視覚表現であり、他の要素を持ち込むべきではないと考えたからである。もちろんこの考えは現在でも継続して私の考えの根底にある。
 しかし、人々は題名を手がかりにして作品を読み取ろうとする。題名がないと不安になると言われたこともある。そんなこともあり、少しずつ私の軌道修正ははじまったように思う。
 その後『UTAKATA』や『UTUROHI』という言葉が作品の題名になった。これにその年を入れ、ナンバーを入れて題名が完成する。例えば、『UTAKATA 2014.5』というように。2014年の通し番号5の作品という意味である。では、この『UTAKATA』とは何か。日本語で発音すると、「うたかた」となる。発音された瞬間、日本語を母国語とする人にとって、意味が明らかになるはずだ。漢字で表記すると「泡沫」となる。森鴎外の「うたかたの記」や鴨長明の「方丈記」が思い起こされると思う。「よどみにうかぶ、うたかたは、かつきえかつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし」という表現。「まさにこの世のありようは、ほんの一瞬の現象にしか過ぎないのではないだろうか」私はことあるごとにそのような考えにとらわれる。『UTAKATA』は意味のとりやすい日本語表記ではなく、あえてローマ字表記にした。ゆっくりと発音して欲しいと思ったからである。U•T A•K A•T A と口からでた音をゆっくりと心に入れて欲しい。言葉の真の意味はゆっくりと言うことによってはっきりとしてくると思うからである。はじめてその言葉を発する者のように。
                      

 「UTAKATA」が続き、その後あらたに「UTUROHI」という語も使うようになった。意味としては「うつろい」なのだが、発音すると「うつろひ」となる。まるで歴史的仮名遣いだ。ところが、フランス語のH(アッシュ)やイタリア語のH(アッカ)など、ボルトガル語やスペイン語などを含む、所謂ロマンス語では「H」は発音しない。ということは「うつろい」となるのだろうか。そんなことを考えるとなんだか興味がつきない。
 「UTAKATA」も「UTUROHI」もせかいの儚さや脆さや仮の世のことを意味する。私の思考のなかでは、「世界は畢竟ほろびゆくものの一過程の姿」である。
                    

 個展会場のOギャラリー入り口の右の壁は、「UTAKATA 2014  四」という作品群である。「四」と は、数値の4ではなく、四方などというもののようなある絶対的な存在を意味する。具体的には、「東西南北」という「世界」そのものを表す。





奥に向かって右は「UTAKATA 2014 崑」という。 




 「崑」は、「崑崙山」という概念を表す。崑崙山とは、中国の西部中央アジアに位置する大山脈である。そしてここは古の伝説の場所であり、仙界であると言われる。八仙が住む場所であると伝えられている。「崑」は「混沌」とつながり、「カオス」を示すとも言われる。「混」は左の作品「UTAKA 214 混」である。
 そして、奥の三つの作品は「UTAKATA 2014  「途」である。「途」は「みちすじ」「道理」「教え」などの意味ががあるが、「三途」の暗喩である。その地にたどり着くのは、けして不幸なことではなく、誰でもがいったんはたどり着かなければならない地である。それは祝祭である式日なのである。







 




L字型の空間の奥「式日」の場所は、辰巳の方角にあたる。辰巳は吉方である。

 



もうひとつ、こんな壁面がある。





立てかけた作品5枚。5であるのに「−4」という作品群。1枚のことか、あるいは−4ということが我々の存在のことか、個としての存在の意味を問う。



以上のようなことば遊びが、この個展のなかに隠されている。
                      2014年8月3日 8:10am

















2014年7月18日金曜日

『海辺のカフカ』 演出:蜷川幸雄

 『海辺のカフカ』、もちろん村上春樹の作品である。蜷川幸雄演出による舞台化なのだが、今回ふっと行ってみる気になった。蜷川の舞台演出に関しては、いままで「テンペスト」などシェークスピア作品をずいぶん見てきたが、ねじ伏せるような演出の方法に思え、蜷川独特の自己主張にどこか違和感を感じていた。今回の気紛れは、村上春樹作品と役者宮沢りえに惹かれてのことだった。
 雨が落ちはじめた赤坂、急いで作られたように感じる赤阪ACTシアター周辺に「鮨勘」もある。しかし、目的が違うので、立ち食いそばで小腹を満たして劇場に入ることにした。はじめての劇場だが、観客席はどこか三軒茶屋の世田谷パブリックシアターに似ている。二階席がやけに狭いうえに急な勾配であり、既に席に着いている観客の前を通って自分の席につくのがいささか困難で、気を使う。まあ、慣れてると言えば言えなくもないが••••。久しぶりの現代劇だ。
 舞台装置は全て、巨大ないくつもの透明なショーケースに入れられている。場面転換は全てこの巨大なケースがあちこち動き回って転換されて行く、だから暗転ではない。樹木のある公園、書斎、図書館、トラック、全てが一個の透明なケースの中にある。この巨大なケースは、巨大であればあるほどどこかミニカーを飾るアクリルケースのように見えてくる。この世の全てはそんなケースの中の出来事でしかない、と言わんばかりである。この舞台装置は秀逸である。そして村上春樹特有の内省的論理思考をこわすことのないモノローグは、舞台全体に静けさをもたらし、また大洋の中の鏡の凪のような不安を感じさせる。狂気、孤独、諦念、そしてわずかな希望。現代日本が危険な時代に入ったからこそ、気になる台詞が随所にある。

原作:村上春樹 脚本:フランス•ギャラティ 美術:中越司 演出:蜷川幸雄

キャスト 宮沢りえ 藤木直人 鈴木杏 木場勝己 その他
     
                         7月3日観劇

2014年6月25日水曜日

暴政


 ワールドカップがはじまった。人々が熱狂している陰で、日本政府はどんな動きをするのだろう。集団的自衛権確立の勢いがついたとき、北朝鮮の拉致問題が浮上した。街角では号外が配られ、マスコミは一色に染まった。拉致被害者の調査費用を出したのではないかと私は疑いの目を持った。でもこのことを立証することはできない。利得がない限り北朝鮮は動かないだろうと思う。
 思えば、いま世界の国々で「侵略戦争」と言って戦争をする国は存在しない。いつでも防衛のための戦争だ。9•11のアメリカへの攻撃も、自国の民族のための攻撃であって侵略ではない。戦争と自衛は別のものではない、むしろ自衛と戦争はイコールなのだ。「自衛戦争」なのだ。でも戦争したがっている者がいる。
 その昔、「武器を売る商人」を「死の商人」と言った。いま、回りをいくら見渡しても、そんな言葉は存在していない。なぜだろう、国家が絡んでいるので、商人という言葉は当てはまらないのだろうか。世界は経済というグローバリズムで動いている。すべては経済と密接な関係がある。そしてこの経済とはまぎれもなく金融資本主義である。
 この国の大きなものが動くとき、必ずその大きな何ものかの前に、ちらちら動き回るものが出て来る。それに惑わされて、気がついたらすっかり変えられている。なんど同じ事を経験したことだろうか。

2014年6月23日月曜日

気まぐれ野郎メシ


余り物?いや、けっこうな素材です。でも、ただ炒めただけのもの。

ズッキーニ•茄子•エリンギを同じ大きさに切り、ウインナーと一緒に、たっぶりのオリーブオイルで炒めた。味はさらっと、塩だけ。

2014年6月21日土曜日

中村一美 展

 国立新美術館の中村一美展(2014/3/19〜5/19)に行った。とにかく大きなタブローを描く人だ。明らかにアメリカ現代美術の影響を受けている。アメリカ現代美術華やかなりし頃に青春を送った世代だ。マーク•ロスコ、バーネット•ニューマン、サム•フランシス、争うように作品が巨大化して行った作家たち。それはアメリカの国力に比例して行ったようにも思える。中村の巨大な作品は実にそんなアメリカを思わせる。私にはどうしても彼の作品は抽象表現主義の延長線に思えてならない。確かに中村自身は、そんな見方を否定するかも知れない。自身の作品に対して、極めて饒舌に語る人だからである。それは個々の作品に付けられる題名が顕著に物語っていると思える。
 『范寛』(1995)(范寛とは、紀元千年ころの北宋の画人)『採桑老』(1998/99/2000)
『死を悼みて土紫の泥河を渡る者々』(2003)など、物語性のある題名が多い。この作品から遊離したような名付け方は何なのだろうか。『採桑老』とは雅楽の演目のひとつであり、「これを演ずると数年後に死ぬ」という伝説がある。中村の作品のスタイルを彼自身の思い出や体験と関係付けて論ずる評論家もいるが、(例えば、Yのシリーズは母親の実家が養蚕農家だったから、Yという記号は桑の木の象形である。とか)作品にメランコリーな意味付けをすることにどれだけの価値があるのだろうか。作品はあらゆることから解放され、自由なものであって欲しいのだが。
 というのも実は私自身の見方であって、実作者中村は異なる認識を持っているだろう。その題名を付けたのは本人自身であるからだ。題名だけ見ると、確かに彼には生涯こだわらざるを得ない何かがある。幼少期の環境、肉親の自死、などなど。「死」とは何か、この不確定でありながら確実なこと。すべての存在の究極なる到達点。誰でも考えてしまうことだ。中村が美術作家でなければ、文学者となって表現するかもしれない。彼は物語性を捨てることができない。具象ならいざ知らず、抽象表現であればあるほど、画面と異なる場所に、それを表す。試行錯誤の題名の付け方である。あえて誤解を招く言い方をすれば、彼は「題名の物語作家」である。そしてそこから自分自身を解放させるための絵画表現である。『題名(彼の内面)に対する画面の格闘』である。つまり、最初に題名が存在するのだ。おそらく、この私の言説は彼の無意識の領域に踏み込むことになるだろう。
 1956年生まれ、中村一美は、巨大画面で格闘する。格闘するから巨大画面でなければならない。私は1955年生まれ、同世代である。

 

2014年6月10日火曜日

気まぐれ野郎メシ


 なんのこともない、ただ普通のサラダ。トマト•キュウリ•コーン•レタス•チーズ。そこにオリーブオイルをかけて、塩を少々。ただ和えただけ。

 実験としては、オリーブオイルをかけたということ。普段このようなことはしない。しかし、オルセー美術館の近くのレストランで、大量にオリーブオイルをかけたサラダのようなものを食べたので(そのオイルの多さに辟易したが)。なんとなくオリーブオイルを使ってみただけ。チーズはなんという種類かはわからないが、けっこう柔らかいチーズだ。パリのどうってことないスーパーマーケットで、どうっていうことのない安いチーズを買って、そのまま持って来たもの。
    さて、味はいかがかな••••。

2014年5月19日月曜日

石田徹也 展

 2014•5•18
 平塚市美術館で開催されている『石田徹也 展』に行く。気温が高く、人々も風景も夏の装い。駅前でパスタと白ワインで昼食、そして美術館へ。石田徹也とは何者か。現代社会の風刺か、人間という存在の危うさか、押しつぶされそうな人間存在へのレクイエムか。テーマは明確だ。しかし、絵という表現は、微妙に多様性を孕む。極めて静寂な画面である。その静寂さは、現代人のある種の諦念を表しているようにも思える。作品の登場人物は、ほとんどネクタイ姿の社会人だ。高度資本主義のなかの会社員。
 私は、『深海魚』(2003)という作品が好きだ。窮屈なまでに真面目に追求する石田が、どこか突き抜けた心境に一瞬たどり着いたようにも思える。重層的な画面が妙に心地よい。晩年になればなるほど、外と内、内部と外部という概念が画面に表出してくる。『満潮』(2004)などの画面には渚と病院ベッドとカーテンが描かれる。これらの装置は、確実にあっちの世界、こっちの世界というイメージだ。本人が求めて描いているのだが、彼ほど自分の内面がむきだしになってくる作家もめずらしいかも知れない。作品がまるで予言者のように語りかけて来る。
 瞬間的にわたしは思った。「彼の死は無意識の自殺」だと。これを追求して行くと、戻れない地点まで踏み込まざるを得なくなる。多くの作家は、どこかで自分を引き戻す。しかし、極限で、あるいは極めてボーダーなところで、ぽっかりと開いた虚無の空間に入り込んで戻れなくなることがあるだろうと私は実感している。彼はそのようなタイプの人間だったに違いない。もし生存していたならば、抽象的な表現に興味を抱くようになったかも知れない。
 早朝の踏切事故で31年の人生を終えた。

 美術家彦坂尚嘉は、かれの作品に「第16次元崩壊領域」が見られるという。確かに彦坂特有の言説だが、そうだろうと思う。石田徹也はいい作家だ。

私事であるが
 「回転ドアの社会人」という題名のリトグラフを制作したことがある。22歳ぐらいのときだったと思う。回転ドアにへばりついたスーツ姿の現代人を描いたものだった。企業戦士の悲哀を、生意気にも感じていた。そんな私には、石田の作品がどこか懐かしいような感じもする。しかし、その後わたしは、この日本の高度経済成長の立役者である企業戦士を悲哀をもって語る事はしなかった。その人たちの忍耐と努力によって、戦後日本の復興があったのだと理解してからは。

2014年5月10日土曜日

Poissy(ポワシー)イル•ド•フランス地域圏

 個展開催期間の前半一週間、パリに滞在しました。そのとき、パリを少し離れたポワシーという町を訪れましたが、そこはパリの西30kmぐらいに位置する町です。私が滞在していたアパルトメントの近くの11区と12区にまたがる「Nation(ナシオン)」という駅で、RER A5番線の列車に乗り換えました。ナシオンからちょうど50分でポワシーにたどり着きます。自動車会社プジョーの工場がポワシー駅手前にあり、「あっ、ここがプジョーの工場なんだ」と少し感動。プジョーの208はここで作られているらしいです。閑静なポワシーの駅に降り立ちました。



 パリ市内とちがい、空気も澄んでいて人もちらほら程度。道にタバコの吸い殻も、犬のうんこも落ちていません。駅前の頭像は、ポンピドーです。後で画廊のオーナーから聞いたのですが、ポワシーにはブロジュアジーしか住んでいないらしい。おだやかに時間が流れています。こんなところに住んでいたら、心身共に健康でいられるような気がしました。
 駅を出たら、そのまま右の方にどんどん進みます。

 突き当たって、左をこちょこちょこと行くと、とんがり帽子が見えてきました。そうです、教会です。ノートルダム•参事会教会(Le Collégiale notre-Dame)という教会です。

   














 どこからお見えになったのか、ワンボックスカーを利用して来たシスターたちが数人いました。

 まだまだ歩きます。人家の軒先のようなところも進みます。





                                                                   

 すると見えてきます。目的の場所です。そうです、それはル•コルビュジエが設計したサヴォア邸です。















 
 
 森の中にドカンと見えて来る白亜の建物です。このモダニズムに最初は戸惑う感じです。しかし、中に入ると、この独創的なデザインに驚くばかりです。まるで迷路のような建築は、わたしたちの心身に何か別な次元の刺激を与えるような気もします。 






















 

 やはりすごい人です。1931年竣工。アンドレ•マルローが歴史遺産に指定した20世紀最高作品に数え上げられるひとつです。
 
 その後の帰り道、玩具博物館に立ち寄りました。なんだか、ドロリとしたオブジェたちが隙間なく存在しています。魔女の部屋のようなところもあり、興味深かったです。




 
駅から徒歩で行くのがおすすめです。ゆっくりと歩いてそんなに時間はかかりません。
パリ市サンラザール駅まで、なんと21分で着きます。もう一度行ってみたいところです。


ポワシーからサンラザールまで21分

































2014年5月6日火曜日

描画漫録(2014/4.19〜5.2 パリ)

 2回目になりますが、パリでの個展が終了しました。4月18日の夜に羽田から発ち、翌19日の朝4時にシャルルドゴール空港に着きました。まだ人々の姿は街には見られません。ひんやりとしたパリの早朝。橙色の街灯が照らす街角は、どこかウッディアレンの映画を思わせる感じでした。その日のうちに展示し、オープニングというハードな日程でした。パリでは初めての試みをするようにしています。今回は紙の作品でした。イタリアのファブリアーのという紙で、大量の水を使うので極厚のものを使いました。綿と違い、紙の場合にはよりスピーディーな作業が必要となります。あっという間に絵の具がしみ込んでしまうからです。その意味ではまだまだ探求が必要です。私としては、綿布の作品と意識的に違うわけではないのですが、紙の作品に注目してくれた人が少なくはないようでした。7月の銀座での個展で紙の作品をもう少し試みてみたいと思います。

2014年3月21日金曜日

描画漫録

 わたしは、永らく青を禁じていた。なぜなら青はあまりに自分に近い色だったからだ。青に自分自身が溺れてしまうように思えた。わたしのメランコリーが、アンニュイが、わたし自身を青に近づけたのだろうか。あるいは、青がわたしに近づいてきたのか。青はわたしの内面に深く入りこんでいる。わたしのなかの青を解放し始めたのはいつのころからだっただろうか、行きつ戻りつしながら青が画面全体を覆うようになった。
 青は、青という色であるが、わたしにとってそれは多数ある色のひとつではない。

2014年3月2日日曜日

父の秘密 ~AFTER LUCIA~

 監督:脚本/マイケル•フランコ          メキシコ 2012年


  原題はAFTER LUCIA.「ルシアの後」いや、「聖ルチア亡き後」と理解した方がいいのかもしれない。邦題の「父の秘密」というのは、やはり理解しがたい。
 男の妻、娘の母であるルシアを交通事故で失った、夫と娘のその後の状況を描いた物語である。母は娘のおこした事故で命をなくした。それを犠牲というならば、そのことを殉教者聖ルチアと重ねることができる。犠牲というのは生きる人間にとっては極めて辛い。前に進むためには、やはりそのことを忘れて、あるいは物語を組み直して、新たに踏み出さなければならない。
 しかし、父親の選択は新たな地獄であった。娘は転校先の学校でいじめにあう。彼女はその不条理な状況に抗うことなく、ただひたすら耐え抜く。そしてラストシーンの父親の報復。その報復にたいして、邦題「父の秘密」がつけられたのだ思うが、この作品のテーマはそれにあるのではない。この親子は、とにかくなす術もなく耐える。ただ耐えている。この「耐える」ということになにかしら意味があるのだろうか。この現実世界、あるいは現象世界は、不条理に満ちている。善はいつでも善でありつづけることはできなく、悪はいつまでも悪であるわけではない。「神の愛」とはなんだろう。「慈愛」が真のものならば、この世界は理屈に合わない。そこで生きる人間の理解の仕方として、「修行としての苦しみをあたえたもう、神」が存在する。あるいは処世の方便として意識に内在させる。ということになるのかもしれない。
 父ロベルト(ヘルナン•メンドーサ)も娘アレハンドラ(テッサ•イア)も自分が置かれた状況を、だれに話すでもなくただそれを受け入れている。口が重い?どうだろう、その表情はどこか修道士のような無表情を感じる。見る者は、こうすればいい、ああすればいい、という気持ちが起こって来る。でもスクリーンの中の親子は、会話もなく、ただこの世に身を処しているようにしか見えない。ルシアが生きていたころには、光があった。しかし、いまはもうその光は失われた。娘は、その世界にもどろうとする。父にひとことも言わずに、ルシアのいない元の家に行くため、バスに乗り込んでしまう。父親はいじめの首謀者を自らの手で処刑する。最後にみせるロベルトの表情は、最後のジーザスのような表情だった。ロングショットで語るこの作品は、奥深い。

                         (2013•11•9 ユーロスペース)
 

気まぐれ野郎メシ ーリングイネー

 リングイネを使ってみたいとずっと思っていた。ただ、このリングイネなるものが、そんじょそこらの店では売っていないのだ。まあいつかどこかの専門店などにあるだろうと思い、探すような探さないような、結果「まあ、どこかで見かけるだろう」という気持ちになっていた。
 「リングイネ」ロングパスタの一種、使ったことがない。そのリングイネという名称がなんとも素敵に聞こえる。理由はそれだけ、それだけで試してみたいと思っただけ。
 先日ワイングラスを磨き上げていたとき、思わず力が入り過ぎて割ってしまった。その補充にと思い、出かけたついでに日本橋三越に置いてある安価なグラスをもとめようと、立ち寄った。なんと、リングイネがあるではないか。早速購入してためしてみた。
 なかなかいい。やはり、ソースがうまく絡んでくれる。いつもはスパゲティーに粉チーズをふりかけて強引に絡ませようとしていたのだが、そんな必要もなく、見事に調和する。おまけに食感もモチモチしていい。

 リングイネ、また使ってみよう!

2014年2月25日火曜日

コラム

 以前iPadのアプリで、全国のコラムを読んでいると書いた。もちろんアプリにあるコラム全部を毎日読むわけではない。限られた一日の中では、数編程度である。
 先日大雪が降った日の朝、雪かきをしていたところ腰を痛めて、大切な休日を一日寝て過ごさなければならないハメになってしまった。そんなこんなで蒲団に寝そべりながら、全部のコラムを読んだ。書き手の様子が見えて面白い。なかでも、北海道新聞の『卓上四季』と東京新聞の『筆洗』がいい。どちらもいきなり本題に入ることがない。かならず何か面白い伏線から入る。それがじつに見事である。以前朝日新聞を購読していたが、『天声人語』が面白くなく、文章のレベルも格段に落ちて来たのにうんざりして、購読をやめてしまった。中高生に向けて、『天声人語』書き写しというのがあるが、こんな文章を書き写して何になると奮然としたことがあった。
 見識の高さと、文章そのものに力量を感じる『卓上四季』と『筆洗』。反面、沖縄の八重山日報『金波銀波』は極めて右翼的な見識の人が筆をとっているようだ。おもしろくない。

2014年2月22日土曜日

金曜の夜

 このところ落語を聞きに行くことが多くなった。金曜の夜、東銀座にある結婚式場のホールに出かけた。そこでは定期的に落語会を開催している。今回は「如月の三枚看板 喬太郎•文左衛門•扇辰」という公演。橘家文左衛門は「転宅」、まぬけな泥棒の話(古典)。柳家喬太郎は「派出所ヴィーナス」、池袋駅前の派出所を舞台とした、ハチャメチャな話(新作)。入船亭扇辰は「匙加減」、遊女を身請けしようとする若医者と元締めのいざこざにたいする大岡裁き(古典)。という演目。さすがに実力者の三人である。喬太郎の後に登場の扇辰は、「前にあんな話(喬太郎)をやられたら、自分は何をやろうか考えてしまう」と枕で語っていた。そして噺はじめたのが「匙加減」、この噺はもともと講釈らしい。最後の落ちを迎え、噺が終わったところで、ホールのデジタル時計がぴたりと21時を示した。終了予定時間が21時とあったので、見事にピッタリだったのだ。つまらないことかもしれないが、それも見事だと思った。•••偶然かもしれないが、「手練だからこそ」である••• 
 どなたかのブログに、公共施設は時間厳守でやたら細かいことを言われているらしいので、とあったが、私は単純にスゴイなあ、と思うばかりである。
 冷える如月廿日あまりひと日、近くの「萬福」で軽い食事をして帰途についた。

2014年2月18日火曜日

若者

 2月1日、新宿の「損保ジャパン東郷青児美術館」で開催されている美術展「クインテッドー五つ星の作家たち」(児玉靖枝•川田祐子•金田実生•森川美紀•浅見貴子)の企画展を見ようと思い、新宿東から西に向けて歩いていた。交差点にさしかかったとき、ちょうどデモ隊が横切るところであった。新宿だから大久保も近い、ということが一瞬頭をよぎり、またヘイトスピーチでもしているのだろうかと、いささか不快感を抱きながら赤信号を眺めていた。
 しかし、私の目に飛び込んだものは、「特定秘密保護法に反対する学生デモ」という文字であった。デモを組織していたのは、学生だった。それも秘密保護法反対の若者たちだった。歩道で女子学生がビラを配っていたので一枚もらう。デモを先導するトラックの荷台にはスピーカーが設置され、ラッパーが叫んでいた。
 「I say 国民 You say なめんな 国民なめんな 国民なめんな I say憲法 You say 守れ憲法守れ 憲法守れ」
 こんな若者たちがいるのだから、まだまだ大丈夫だ。と思ったと同時に、自分は何をしているのだろうかという、自戒の念に襲われた。

 損保ジャパンの美術館。金融資本主義社会の大企業だ。五人の女性たちの作品は、それぞれに落ち着きを見せていた。その落ち着きは何なのだろうかと思ったのだが、ひょっとすると、「評価された先にあるおとなしさ」という感じがした。忌憚のない意見を言えば、児玉靖枝にしたところで、枝を抽象的に描いていても、そこに枝という概念から解き放たれていない感じがし、鎖に繋がれているように思えてならなかった。(それにしても、最近「枝」をモチーフにすり作家が目立つ)かつての黄色の自由なストロークのような作品の力強さがない。もちろん作家の意図するものがあるのだろうと思うが。「求道の先に見える境地」ではない。まだまだ毅然として戦わなければならない、人たちだ。もちろんその戦いには気炎を吐いたり、毒をまき散らしたするような奇抜さは必要がないのだが。