国立新美術館の中村一美展(2014/3/19〜5/19)に行った。とにかく大きなタブローを描く人だ。明らかにアメリカ現代美術の影響を受けている。アメリカ現代美術華やかなりし頃に青春を送った世代だ。マーク•ロスコ、バーネット•ニューマン、サム•フランシス、争うように作品が巨大化して行った作家たち。それはアメリカの国力に比例して行ったようにも思える。中村の巨大な作品は実にそんなアメリカを思わせる。私にはどうしても彼の作品は抽象表現主義の延長線に思えてならない。確かに中村自身は、そんな見方を否定するかも知れない。自身の作品に対して、極めて饒舌に語る人だからである。それは個々の作品に付けられる題名が顕著に物語っていると思える。
『范寛』(1995)(范寛とは、紀元千年ころの北宋の画人)『採桑老』(1998/99/2000)
『死を悼みて土紫の泥河を渡る者々』(2003)など、物語性のある題名が多い。この作品から遊離したような名付け方は何なのだろうか。『採桑老』とは雅楽の演目のひとつであり、「これを演ずると数年後に死ぬ」という伝説がある。中村の作品のスタイルを彼自身の思い出や体験と関係付けて論ずる評論家もいるが、(例えば、Yのシリーズは母親の実家が養蚕農家だったから、Yという記号は桑の木の象形である。とか)作品にメランコリーな意味付けをすることにどれだけの価値があるのだろうか。作品はあらゆることから解放され、自由なものであって欲しいのだが。
というのも実は私自身の見方であって、実作者中村は異なる認識を持っているだろう。その題名を付けたのは本人自身であるからだ。題名だけ見ると、確かに彼には生涯こだわらざるを得ない何かがある。幼少期の環境、肉親の自死、などなど。「死」とは何か、この不確定でありながら確実なこと。すべての存在の究極なる到達点。誰でも考えてしまうことだ。中村が美術作家でなければ、文学者となって表現するかもしれない。彼は物語性を捨てることができない。具象ならいざ知らず、抽象表現であればあるほど、画面と異なる場所に、それを表す。試行錯誤の題名の付け方である。あえて誤解を招く言い方をすれば、彼は「題名の物語作家」である。そしてそこから自分自身を解放させるための絵画表現である。『題名(彼の内面)に対する画面の格闘』である。つまり、最初に題名が存在するのだ。おそらく、この私の言説は彼の無意識の領域に踏み込むことになるだろう。
1956年生まれ、中村一美は、巨大画面で格闘する。格闘するから巨大画面でなければならない。私は1955年生まれ、同世代である。