2020年11月3日火曜日

「谷津書庫」とは何か

 習志野市にこのような建物がある。『谷津書庫』という小さなプレートが一枚だけ門に付けられている。はじめてこの建物を見た人は、なんだかわからないだろう。周りは住宅地であり、リハビリセンターが道を隔てた隣にある。


 無機質なコンクリートの建物であるが、これが建造されているとき、施主や建設業者の情報が道に面してかけられているのを見たことがある。そこには「大蔵省」と書かれていた。大蔵省財務省の書類を保管してあるのだろうか、たぶんそれ以外には考えられない。頑丈な窓は一枚一枚防犯装置のようなものが中から付けられている。






 手がかりがなく調べることをやめていたが、先日財務省のサイトでこのようなものを見つけた。






 ここに掲載されている「谷津書庫」というのは、この習志野市にあるこの建物のことではないだろうか。この文書にも詳しいことは何一つ記載されていない。

 また、国立公文書館のサイトでこのような文を見つけた。何か関係することがあるのだろうか。

 「関東大震災によって発生した火災のため、多くの省庁は公文書を失いました。大蔵省の場合も例外ではなく、震災後の写真からその惨状がうかがえます。文書保存の必要性を再認した大蔵省は、コンクリート製「不燃書庫」の建造と、各方面からの資料収集による焼失記録の復旧に努めました。」      













 

2020年9月6日日曜日

Kさんからの残雪



 残雪の『カッコウが鳴くあの一瞬』をKさんからいただいた。残雪(鄧小華)は中国現代作家である。表題を含む九つの短編集であるが、読む進めていると個人的には特段違和感を感じなかったものの、一般的に多数の読者を獲得する作家とは思えなかった。物語で読ませるものではなく、娯楽性があるわけでもない。ただ特定の読者にとっては、この作品の意味するところが痛切に理解することができるのかもしれない。そうでなければこれほどアバンギャルドに書き続けることはできないはずだ。そして、見逃してはならないことは作者の深層に深い闇が抱え込まれているかもしれないということだ。
 私には、物語の範疇でこの作品を捉えることができない。ではどう捉えるのかというと、『詩』という言葉がうかびあがってくる。それは「物語を拒絶した叙事詩」ということだ。設定はたしかにあるが、ストーリーではなく、場面が唐突に出現する。例えば、スライド写真を映している感覚だ。プロジェクターがカシャリカシャリと定まった時間を刻みながら静止画像を映し出してゆく。現在のテクノロジーならば、静止画像であれ耳障りのいい音響とともに、フェイドイン等々ストレスを感じさせないデザイン性豊富な方法がいくらでも可能だ。しかし、私の感覚では残雪の小説は、そのようなテクノロジーよりも身体感覚に近いスライド写真なのだ。その感覚が心地よい。リバーサルフィルムが時を刻み、送られて行き、全てはフラットで等価なものとして目の前に並べられてしまうことにより、重苦しい場面は不思議に浄化される。この恐ろしいほどの企ては、作者自身としても、微塵も考えていないだろう。
 語は文節を作り、文となり、段落を形成して、まとまりのある情報を伝える装置になる。しかし、そんなことにこだわらないところに詩そのものの存在がある。おそらくこの作品は、そのような意味や情報の定石にこだわらないで読んだ方がいい。
 
 気になったところをあげてみたい。

   「隣人はむこうの高塀の下で、あの穴を火かき棒でつついている。」
                     (『阿梅、ある太陽の日の愁い』)
   
   「彼らが外でわめきちらしながら、ガラスをつぎつぎに割りまくっている音が聞
   こえる。」             (『霧』)

   「彼が大きなハンマーをふりかざし、その鏡に打ちかかっていくのが見えた。」
                     (『雄牛』)

   「肺気腫にかかった者はみな、夜中によその家の戸をたたきたがるんだよ。」
                     (『カッコウが鳴くあの一瞬』)

   「ガラス板の上の文鎮が壊された」
                     (『曠野のなか』)

   「髪ふりみだして飛びこんできて、わたしの寝室をところかまわずひっかき
   まわし、鏡や湯のみをたたき壊してしまう。」
                     (『刺繍靴および袁四ばあさんの苦悩』)

   「ある人がある場所をひとりぼっちでさまよい、両手に握った小石を粉微塵に砕
   いているのが。」
                     (『天国の対話』)

   「深夜の寒風がひゅうひゅう吹くとき、ある扉を力いっぱいたたくと、」
                     (『素性の知れないふたり』)

   「わたしは鶴橋を探してめちゃめちゃに振りおろし」
                     (『毒蛇を飼う者』)

 これらのことが、とりたてて意味があるのかどうかは分からない。しかし、なぜか気になっている。残雪という現代作家を読んだのもはじめてであり、親和的読者でもないので、早急で無責任なことを言えないが、なにかありそうな気がしてならない。


2020年4月29日水曜日

蔓延しているのは新コロナウイルスだけではない。



 新感染症拡大蔓延で、世界が混乱している。そんな中でも、表層の裏でさまざまな事象が現れている。自然現象ではなく、意図的な意思を持った主体が行動しているのだ。日本国でも確かにそれが見られる。改憲案や種苗法のこともこの機会に内閣から出される。私はけして視線の方向を限定させてはいけないと自ら肝に命じている。この記事のことは、けして対岸のことではない。じつはひしひしと日本の中に蔓延していることだ。内閣が政府に対する批判を情報収集しAIを活用して対応するという。それに25億円の予算が計上された。ささやかでも発言する必要はある。「物言わぬは腹ふくるるわざなり」



2020年1月1日水曜日

コンテンポラリーダンスというもの


勅使川原三郎・佐藤利穂子 
ダンス公演

『忘れっぽい天使 
ポール・クレーの手』



シアターXでの公演、もう何度勅使川原のダンスを見ているだろうか、数えたらきりがない。




 最初に勅使川原というダンサーを知ったのは、勅使川原がまだ髪を剃っていないとき、宮田圭がいたころだ。ダンス以前に舞踏という表現に興味を持っていたが、その流れでコンテンポラリーダンスについて知るようになった。ある放送局の公演記録が放送されていたことがあった。それは日夏耿之介の『夜の思想』という作品を元に創作したダンスだったと記憶している。88年のことだったようだ。転んだり立ち上がったり転んだり立ち上がったりするダンスだった。わたしにとってダンスという表現よりも、山海塾と大野一雄の踊りから身体表現というものに興味があった。つまり暗黒舞踏だ。土方巽の著作や、記録からballetというものから離れた、もうひとつの身体表現であった。それは西欧の芸術表現ではなく、アジアの土着的でそれぞれの民族の日常を元にした踊りの根源に向かうものだった。
 勅使川原の表現は、わたしの暗黒趣味と平行して理解してきたものであった。それにしても、そのモダンな様式は、洗練されたアートのひとつであった。最近の舞台は、シンプルであり、照明もそれほど斬新なものではない。以前は、といってもだいぶ前になるが、山口小夜子が参加していたときには、背中に鉄板を仕込んで電動ヤスリで火花を散らすなどの趣向があり、「物語る」部分も多くあった。またサックスとの共演や、ガラス片が敷き詰められたステージだったりしたこともあった。最近は、勅使川原と佐藤のふたりの舞台が多いように思われる。そして余計なものはできるだけ削ぎ落としているようにも思える。しぜんと身体の動きが闇から浮き上がってくる。
 身体表現にはさまざまなものがあるが、ダンスという範疇に属すものは踊り手の持つ関節の可動域を駆使した組み合わせによる積分であり、それが表現になって行く。balletのように、物語る対象がある場合には、忠実に法則を厳守することが最低条件となるだろう。しかしどのようなダンスであっても、個の鍛えられた関節の可動域であっても、おのずから肉体という限界からとき離れることはない。近年の勅使川原のダンスは、物語ることよりも、身体の特性と限界からどのように解放されるか、ということに向かっているような気がする。もちろんフィジカルな側面ではそのようなことはありえない。それぞれの踊り手によってその個性的なものが表出してくると思うが、その個性というものも先に触れた身体的な限界がある。その領域の中での積分だとは思うが、そのことにどのような意識で向かうかということがひとつの視点を示すことになる。最近の勅使川原のダンスに、解放と限界、限界と解放のあくなき作業を感じているのだが、もちろんこれは勝手な見方であることは承知のうえ。しかし、わたしの勝手な思考がどこかで自分自身の問題を解くことのkeyになると信じている。