2012年7月16日月曜日

クレイジーホース•パリ

監督:フレデリック•ワイズマン      2011 フランス/アメリカ

 パリの夜、眩い娯楽。ナイトスポット「ムーランルージュ」「リド」そして「クレイジーホース」だ。映画作品「バーレスク」や「ナイン」など観たが、これもまたなんと美しいことだろうか。もちろんその美しさを作り出すには、たくさんのプロたちの不断の努力と才能が必要である。この極めて芸術的であり高貴とも言えるパリのキャバレー文化というものはとてつもないものだと思う。


ぼくたちのムッシュ•ラザール

原作:エヴリン•ド•ラ•シュヌリエール  監督脚本:フィリップ•ファラルドー
                   2011 カナダ/フランス

 テーマは重い。しかし、なんとも穏やかでゆるやかな時間の流れなのだろう。カナダのケベック州にある小学校の女性担任が、自分のクラスで縊死自殺をする。牛乳当番のシモン(エミリアン•ネロン)は朝早くだれもいない教室に入ろうとし、その姿を見てしまう。
学校は、ひたすらカウンセラーに子供たちをまかせ、事実にふれないようにふれないようにする。そこへ新聞記事を読んだバシール•ラザール(フェラグ)が代用教員として採用して欲しいとやってくる。出身はアルジェリアで今はカナダの永住者であるという。
 考えも教育方法も古くさいラザール。しかし、この男は地獄の苦しみを経験していたのだ。こどもたちとのさまざまな葛藤。こどもたちもまたさまざまに苦しんでいる。しかし、雪のケベック州は陰影の強い光がないように、なんとなく落ち着いた陽光であり、そしてむやみに暗くもない。雪がたんたんと舞い落ちるように、物語は静かに流れて行く。
ラザールの心が、ゆるやかにこどもたちに届いて行く。実は、ラザールは永住者ではなく、移民申請をしている最中だった。妻は教師をしていて、その発言がテロリストに狙われアルジェリアで妻子を殺されてしまったのだ。おそらくラザールが教師をする理由は、妻の仕事をたどってみたいという気持ちだったのかもしれない。

 ラザールはクラスの親から素性を調べられ、去らなければならなくなってしまう。とくにラストシーンは感動的だ。心に残るラザールの台詞がある。

 「教室で自殺するのは暴力だ」「頭からその先生の姿が消えないというのは、愛していたからであり、愛されていたからだ」「最後の授業をさせてくれ、何も言わないでいなくなるのは自殺と同じことだ」

 面白い場面があった。鞄を持って帰って行くラザールの背中に紙で作られた魚が貼付けられていた。おそらくこどもたちの誰かが、こっそり貼付けたものだったにちがいない。
 「Poisson davril(ポワソンダブリル)」フランスのエイプリルフールの習慣だ。つまり、「嘘つき」ということだろう。 

星の旅人たち

監督•脚本 エミリオ•エステヴェス    2010/アメリカ•スペイン

  聖地サンティアゴ•デ•コンポステーラへの巡礼の物語。トム(マーティン•シーン)は60歳を過ぎた眼科医。ダニエルという息子がいたが、彼は大学院博士課程を中途でやめて巡礼に出ると行って去った。世界を学びたいという。しかし、ある日フランスの警察からダニエルの死を知らせる電話がある。息子の考えがわからないまま別れたトムは、この世から去った息子の確認のため、スペイン国境沿いにあるフランスの町を訪れる。不慮に事故で亡くなった息子ダニエルの心を知りたいという思いに駆られ、その意志を継ごうと遺品のリュックを背負い巡礼の旅に出るのだった。
人はみなそれぞれに事情を抱えている。そんな人々が自然に集まってくる。息子ダニエルの「人は人生を選べない、ただ生きるだけだ」という言葉が印象的だった。「巡礼」とは自己慰安の旅のことかもしれない。きっかけは、仏であってもいい。神であってもいい。予言者であってもいい。たぶん自分自身の心の奥底に、すべてを超越した何かがあるのだ。

爺とスマホ

 
 iphoneが動かない。なんでかなと思いつつ指をなめて動かす。つくづくジジイになったものだと気づかされる。とくに紙類の整理などした後は、指がかさかさになっているので、スマホの画面にタッチしても動かないことが多い。つまりこれは何を意味しているのだろうか。タッチパネルは、指の油分などが反応して動くもののようだ。かさかさの指だと、そこに生体反応がないので作動しないということなのかもしれない。
 いい具合に枯れて、好々爺になるとタッチパネルが反応しないという状態が訪れる。最先端の科学機器を作動させるために、指をなめる。なんという皮肉なことか。iphoneに本を入れて読んでいるときに、指をなめてページを捲っている。やっていることは昔と変わらない。脂ぎった若者や欲望ギドギドのおやじの方が、タッチパネルには適しているのだろうか。

2012年7月2日月曜日

描画漫録 5(パリでの批評文)



パリでの批評文を書いてくれた、ダニエル•ソダノさんです。
(右)

左は私です。










Shin HANADA
Les œuvres de Shin Hanada évoquent ce monde fluide, le monde de nos origines où des bulles éphémères dessinent un horizon de rêve et nous rappellent que toute vie est née de l’eau. 
Shin Hanada saisit cet instant fugitif où la vie émerge des profondeurs, où naissent et se multiplient les premières cellules à l'origine de toute la création. Il nous présente un monde silencieux et harmonieux qui dévoile les couleurs et les formes d’un temps oublié, lorsque nous abordions les rivages du monde. Ce monde en mouvement se renouvelle sans cesse et nous délivre de la solitude de l’être car comme le notait , c'est en se tenant assez longtemps à la surface irisée que nous comprendrons le prix de la profondeur.
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Mark L'Eau et les Rêves, Gaston Bachelard, éd. José Corti, 1942, p. 16
Daniel SODANO   mars 2012
花田伸
花田伸の作品は、夢の地平線を描き、全ての生命は水から誕生したことを思い起こさせ、儚い泡のような私達の起源という流動的な世界を感じる。花田伸は全ての創造物の起源は最初の細胞から無数に分裂して誕生し、出現した生命がつかの間の瞬間である事を知っている。彼は私達が世界の岸にたどり着くまでの忘れられた時間の色彩と形態を出現させ、静寂と調和のある世界を見せる。この動きがある世界は、終わることなく新しい変化を見せ、Gaston Bachelard(ガストン バシュラール)が記述したように、存在という孤独から私達を解放し、真の価値を理解すると言うことは虹色に輝く地表に長い間、留まると言う事でもある。
1 水と夢、ガストン バシュラール ジョセ コルチ出版、194216ページ
ダニエル ソダノ 20123