2013年12月31日火曜日

ファイアbyルブタン

 監督:ブルノ•ユラン                     フランス

 渋谷サンライズで「キューティー&ボクサー」を見、PARCO 1 で開催されていた二人展を見た後、渋谷東急の一階でおふたりを目撃した。そして、そのままル•シネマへ。作品は「ファイアbyルブタン」シューズデザイナーのクリスチャン•ルブタンが、パリのナイトクラブ「クレイジーホース」で演出したという公演のドキュメンタリーだ。
 高級シューズデザイナーとして世界的な名声を得ているルブタン。良く知らなかったが、パリの労働者階級地区の母子家庭で育ったという。ルブタンのインタビューを挟んで、舞台が映し出されて行く。やはりすごい。クレイジーガールの鍛え上げられた身体は、そのセクシーな舞台になくてはならないということが良く理解できる。これは、確かにアートだ。いちどでいいから、このクレイジーホースに行ってみたいなあ、と思った。
 ルブタンがおもしろいことを言っていた。世界で最も美しい脚は、ティナ•ターナーの脚だと。どんなんだったけ。

2013年12月30日月曜日

H的立場ー新愛国者宣言ー

 どうもいかん、Aちゃんは頭悪過ぎだ。「靖国参拝」•••どうして。なぜこんなにも歴代の政治家たちはアホなのだろうか。靖国は墓地ではないのだ。靖国はあくまでも象徴なのだということをわかっていての参拝なのだろう。戦没者をみな神にして祭る。世界に向けて国家としてA級戦犯を認め、戦争を放棄した。が、それが神として祭られている。
 個人の感情はどうでもかまわない。参拝したければ、ジャージ姿でチャリンコでも漕いで行くなら否定しない。しかし、国家の意思の象徴である首相がカメラが回る中意気揚揚として参拝するのである。自分は失敗しないと思っているのか。「中国•韓国の人々の心を傷つけるつもりは毛頭ない」などとどうして言えるのだろう。向こうが「傷ついた」と言っているのに、「傷つけてはいない」いう。例えば、「セクハラ」はそれを受けた人間が、セクハラだと言えばセクハラは成立するのだ。「いじめ」を受けた人間が、傷ついたと言えば、「いじめ」は成立したと、この国は規定している。この国を代表する人間がこんな体たらくだ。こんな政治家たちは愛国者ではない。真の愛国者は、日本人を愛さなければならない。日本人が危険な目にあわないように努力するのが愛国者だ。
 きちんと天皇陛下の発言に耳を傾けて欲しい。憲法や民主主義を守って来たと言われた天皇に大政奉還してみてはいかがかな。集団的自衛権も天皇なら撤回するはずだ。天皇誕生日の日、7名のA級戦犯は処刑された。もちろん米側がそうしたのだろうが、そのことの意味も深く考える必要があると思うが。

キューティー&ボクサー

 監督:ザッカリー•ハイザーリング       2013:アメリカ

 現代美術家・篠原有司男、乃り子のドキュメンタリーだ。篠原有司男の名をはじめて聞いたのは、1975年のころであっただろうか。とるものもとりあえず上京し、無謀にも美術の世界をめざしていた私には、前衛芸術などというものは、まるで知ってはいけない麻薬のような危ない匂いに満ち満ちていた。ゴッホやモネなどが20歳前後の私の美術認識にとって現在形であったのだが、いきなり精神の開国をしなければならない状態に追い込まれていた。もちろん前衛なのだから無視してもよかったのだが、その怪しい匂いに強烈に惹かれて行ったのも確かであった。その圧倒的パワーの美術状況の中に、篠原有司男がいた。反芸術を標榜し「ネオダダイズムオルガナイザー」という集団を組織し、絵画などとは遥かに遠い地平にいた。やがて、渡米した篠原の取材記事を、たしかアサヒグラフだったと思うが、目にしたことがあった。ニューヨークのソーホー地区に立つ彼の姿は、どことなく野獣を思わせた。血も凍る危険なニューヨークで自分は戦いを挑む、というようなコメントがあり、孤独な兵士のようであった。ダンボールでクレイジーなバイクの立体を創ったり、ボクシングペインティングをしたり、自分にはない憧れのクレイジーボーイだった。
 その後だいぶ時が経ち、どこかの誰かがダンボールで作品を作り出したとき、にわかにダンボールということで注目を集めたことがあった。が、そんなことはもう遥か以前に篠原がやっていることじゃないか、と日本の美術界の見識のなさにいささかうんざりしたが、今ではその誰かはアカデミックな◯◯大学で教鞭をとっている。
 ときどき帰国し、展覧会をしたりしていたが、その大きな声と態度で、篠原がいるとすぐわかる。画廊の前の通りにいても、すぐ篠原のそれと知れた。そんな篠原のドキュメンタリーが作られたと知り、少しばかり驚いた。いま篠原有司男なのか。これは見なければなるまい。この破天荒な80歳にはやはり圧倒させられる。そしてそばにいるもうひとりの芸術家。いい感じだ。よくもニューヨークでいままでやって来たものだ。生活はそんなに楽ではないことがうかがわれる。スーツケースに作品を詰め込み、日本に行って戻って来る。ポケットから3000ドルの紙幣をバサッととりだし、いささか自慢したりする様子はキュートだ。まるで行商から戻った感じだ。題名が「キューティー&ボクサー」だが、このふたりは、ともにボクサーでもあり、キュートでもあるのだ。
 この映像から大きな力をもらい、あらためて自分のアートに邁進しようと決意を新たにし、もうひとつ映画をみる予定だったので、渋谷東急の一階を歩いていたら、私の横をキューティー&ボクサーが通り過ぎた。おっ、今日も渋谷にお出ましなのか。しばしこの
お二人の後ろ姿を見送る私であった。

2013年12月16日月曜日

ファッションを創る男ーカール•ラガーフェルドー

 監督:ロドルフ•マルコーニ      2007  フランス
 
 ファッションデザイナー、カール•ラガーフェルド。生きながら伝説となった男。このドキュメンタリーは、彼の金言•教示•箴言に満ちている。ラガーフェルドは言う、「孤独は勝ちとるものだ」と。創造的仕事をするたためには、孤独でなくてはならない。「ファッションは、うつろいやすい」そう言い切るラガーフェルは、所謂てっぺんまで行った人間だからこその言であろうか。しかし、このような人間が育って行く、フランスという国はおもしろい。さまざまな人種が入り乱れる国だからこそだろうと、私には思われる。
                   (『ヒューマントラストシネマ有楽町』にて)

2013年12月10日火曜日

長谷川きよし

 2年ほど前だったか、宇崎竜童プロデュースで日本橋のホールで開催された長谷川きよしのコンサートに行った。長谷川きよしと言えば、69年の『別れのサンバ』でデビューしたのだから、完全に私の青春時代とリンクする。そのときのことを思えば、やはり衝撃を受けたミュージシャンのひとりだった。そして、何十年かの後にコンサートで聴いた長谷川きよしは、昔深夜放送で聞いていた長谷川きよしを遥かに超えていた。そのギター演奏の技術はもの凄かった。そして今回、12月7日の中野ゼロホールでのコンサートに出かけた。12月の空気はいかにも冬らしく、ビルの谷間は冷えていた。そんな冬の空気は嫌いではない。
 再度確認、「長谷川きよし」はすばらしい。前は、髪が黒かったけど、今は白い。たぶん染めるのをやめたのだろう。

2013年11月26日火曜日

ふたりのアトリエ〜ある彫刻家とモデル〜

  監督•脚本 フェルナンド•トルエバ 脚本 ジャン=クロード•カリエール
                               2012 スペイン

 ある彫刻家クロス(ジャン•ロシュフォール)とは、マイヨールのことである。もちろんフィクションではあるが、マイヨールへのオマージュという作品には違いない。
 老彫刻家のもとにメルセ(アイーダ•フォルチ)という若い娘がやってくる。彼女はある日クロスの妻レア(クラウディア•カルディナーレ)が街で見つけ、つれて来たのだった。その娘の身体は、彫刻家好みのものだとレアは直感したのだ。レアもかつてはクロスのモデルを務めていた。山小屋のアトリエでの創作がはじまる。彫刻家の言葉はきわめて示唆的である。箴言と言える。見る者はその言葉をじっくりと味わうことができる。ドイツ軍占領下でのフランス。とりあえず過激な戦闘が行われているようすは見えない。実にのんびりとした時間が流れるアトリエである。しかし、その後ろには戦争の匂いが立ちこめている。この彫刻家を慕っているヴェルナー(ゲッツ•オットー)というドイツ軍人がいる。彼はときどきクロスのアトリエを訪れ、伝記の出版を計画していた。彼はミュンヘン大学で美術史の教鞭をとっていたのだ。ある日彼は遠くの戦地に行くことになったことをクロスに告げるが、彼が去った後クロスはひとりつぶやく、「もう合えない気がする」と。
 また、モデルのメルセもまたスペイン内戦で故郷を追われた身の上だった。ひと夏のアトリエ。彫刻家とモデル、クロスとメルセ。それは友情とも言える関係である。そして、レアがいい。レアはクラウディア•カルディナーレだ。
                      (ル•シネマにて)

2013年11月16日土曜日

描画漫録ー自己が許されるときー

 作品というもの。あるいは、作品とは言えないもの。私は、自分の作り出す物を作品と言えるかどうかにはなはだ疑問をもっている。「作品」というものになったとたん、それはいかにも大変な時を刻み、作者のあらゆる技能の結実であるという暗黙の了解がなされるような気がする。それに対して現代美術というものは観念の世界からはじまり、旧来の作品という概念に、アンチの姿勢をとりながら何かを提示して来たように思う。作品という概念を越え、世界の解釈や実存や現象などにたいしての意味や分析に重点を移すこととなった。したがって、美にとらわれない世界観を持つことでもあった。それはある意味で「提示」という行為になって行った。世界に対して、果敢に提示して行く。
 私の日常の生活にとって、作品とは、世界に対しての解釈である。画面に向かった時には、他の煩わしいことを忘れることが出来る。自分が自分ではない感覚になる。何かに身を任せたときに、自分という自我が消されて、ある存在との同一感覚の中に居るような感じである。気づいたときに何かが生まれている。誰かがそれを作品と呼べばそれでもいい。作品ではないと呼べばそれでもいい。肝心なことはそんなことではない。私自身が画面の中で許されて行くことである。極めて個人的なことであるかも知れないが、ひとりの生活者として現実の中で生きて行くことは、抑圧と破壊のまっただ中に投げ出された存在となる。自分の居場所はどこなのだろうか。それは知らず知らず、自分を浸食して行くのだ。徹底的に自分を見つめることができ、それが心地よい居場所となるところ。それは、私の作業の中にいる自分である。無条件に自己の存在が許されるところである。それは作品のような、画面の中である。

2013年11月12日火曜日

H的立場ー気をつけなければー

 とにかく文章というものは、きちんと校正しなければならない。と日頃感じているのだが、どうしてもいい加減になってしまう。とくにこのブログなどは、どうせ見る人はあまりいないのだからという感情が先立って、ただ書くことに精一杯のようになってしまっている。前のものを読み返していると、あらあら誤字脱字があちこちにあることあること。もうしわけなく、また情けなくなってしまう。どうかご勘弁を。

 なんだか日本の政治が狂っている。反対意見なんかどうでもいいと言う感覚なのではないだろうか。戦後民主主義などと言っていたが、いったいどこに民主主義があるのだろうか。以前は「衆参ねじれ現象」で政治が思うように行かない。とさんざん言い続けて来たマスコミ。当時なぜ「ねじれ」なんて言うのだろうかと疑問に思っていた。いろんな意見があるからこそ民主主義ではないか、それをあたかも悪いことのように「ねじれ」という言葉で大衆を煽動していると感じた。今度は、政府のやり方に誰も意見が言えなく、ある方向に向かって突き進んでいる。何を言っても、首相の態度は変わらない。この権力は揺るぎないのだと思っているからだろう。確かに揺るぎないのだ。「無理を通せば道理が引っ込む」「憎まれっ子世にはばかる」そしてヘイトスピーチがまかり通る世の中。なんていう国になってしまったのだ。でもこの政治体制は、国民ひとりひとりの意識で作り出したものだ。

2013年11月9日土曜日

気まぐれ野郎メシ ーヤバイめしー


 見るからにヤバそうなもの。素材の一部の消費期限がヤバイ。

 なす:切ると赤みがかっている。
 ピーマン:二個冷蔵庫の中で忘れられていた。一個は使い物にならず。
 ピリ辛トマトソース缶:完全にヤバイ。
 ウィンナー:OK
 玉葱:OK
 カレー粉:少々

   ピーマンとなすと玉葱を炒め、トマトソースで絡める。カレー粉を少々。最後にウィンナーを和えるだけ。
 しかし、味的にはOKだった。家族はどれぐらいヤバかったのかは知らない。


 反省:冷蔵庫の中は、きちんとチェックを怠っては行けない。


2013年11月4日月曜日

ある愛へと続く旅 (原題:VENUTO AL MONDO 英題:TWICE BORN)

 監督:セルジオ•カステリット 原作:脚本:マーガレット•マッツァンティーニ
                       2012年    イタリア/スペイン

 英語題は「TWICE BORN」(二度の生まれ)イタリア語原題は「VENUTO AL MONDO」(世界の到来)         主演:ペネロペ•クルス。
 ペネロペ•クルスの役柄は大女優への一歩という印象を受けた。題材は極めてきつい苦悩の世界である。神は一部の人間に、これほどまでの苦痛を与えるのだろうか。そしてどれほどまでに人間への贖罪を求めるのだろうか。筆舌に尽くし難い作品であった。
 舞台がサラエボ、ボスニア•ヘルツゴビナの首都。子どもが欲しい夫婦が、とてつもない状況に巻き込まれて行く。
   ジェンマ(ペネロペ•クルス)はサラエボに留学していたときに知り合ったカメラマンのディエゴ(エミール•ハーシュ)と恋に落ちる。彼女は彼の目を持つ子どもが欲しいと願うが、その望みは断たれる。ローマで暮らしていたのだが、彼女たちは再びサラエボへと向かうのだった。そして民族紛争がはじまってしまうサラエボで、壮絶な人間模様が繰り広げられる。代理母を申し出る女性(サーデット•アクソイ:トルコイスタンブール出身)、紛争時の兵士の暴行、絶望のため自らの命を断つ夫(エミール•ハーシュ:カリフォルニア出身)詩を読むリーダー格の男(アドナン•ハスコヴィッチ:サラエボ出身)、ジェンマ(ペネロペ•クルス:スペインマドリード出身)と一緒になるイタリア•カラビニエーリの大佐(セルジオ•カステリット:ローマ出身:本作監督)、息子ピエトロ(ピエトロ•カステリット:ローマ出身:セルジオの実子)、精神科医(ジェーン•バースキン:ロンドン出身)。
 スリリングなプロットは、感動を呼ぶラストに一気に進む。そして愛というものの本質を深くえぐり込む。アガペーとしての愛である。
                      (「TOHOシネマズシャンテ」にて)

H的立場 軽自動車の増税

 総務省が軽自動車の税金を引き上げる案を提出した。報道では、普通車の税金に対して
バランスを欠いているから、という話があった。そんなおためごかしの論が公にされ、マスコミは何の反論もせず、そのままニュースとして流している。バランスを欠いているという理由だけなら、税金の高い普通車を下げればいいだけの話だ。それでこの問題は終わる。おおいに腹が立った。理由は全く違うところにあるにもかかわらず、幼稚な言論に終始している。なぜ軽自動車に人気があるのかという本質に言及しなければ、何も見えてこないし、そこから政治は生まれない。
 軽自動車の税金に対して、TPPの懸念材料であるISD条項として話題にされることがよくある。ISD条項とは、「ある国の政府が外国企業。外国資本に対してのみ不当な差別を行った場合、当該企業がその差別を受けた損害について相手国政府に対し賠償を求める」ことが出来るという法律である。実例として、カナダやメキシコのことがあげられるが、米国側が自国の自動車が売れない理由は、日本の軽自動車税という制度に問題があるという理由で提訴される可能性がある。という懸念である。ということを考えると、その先取りでないだろうか。あらかじめこのような方向を打ち出しておけば、アメリカに対して、「日本は努力していますよ。」ということで矛先の緩和になる。
 しかし、話はこればかりではない。今回気がついたことは、政府の税金徴収源の開発ということである。これは一挙両得ではないだろうか。いやむしろ税金確保の方に重点が置かれているではないだろうか。11月2日の山形新聞のコラム「談話室」にわたしと同じような意見が掲載されていた。「税収の穴を軽などで埋めようという構想だ。軽の保有台数の1位は佐賀県2位は鳥取県3位は島根県、そして4位は山形県」だそうだ。そして、低いのは、東京•神奈川•大阪。税制を決める専門家には、電車の多い東京を出て、地方の声を聞いてもらいたい。」大都会では、電車の便がいいが、地方では公共の交通機関がないところもある。例えば沖縄には那覇のゆいまーる以外は鉄道がなく、県民の足はほとんど自分たちが保有する自家用車だ。都会からは離れれば離れるほど、交通の便は悪くなる。通勤だって、村役場に行くのだって、病院に行くのだって、赤字になってしまう公共交通は無くなっている。
 諸外国に円借款などで貸す資金は膨大にある。復興支援のお金は使われないままである。おもいやり予算もそのまま。そんなお金があるにもかかわらず、いままでのレベルの維持や、それ以上にするために、国民から税金として徴収する法案がとまらない。

 ISD条項に関しては、これは「狼と少年」だ。主権侵略ではなく、その条項での話である。という考えもある。しかし、自国に有利にはたらかない条項をアメリカが持ち出すことがあるだろうか。アメリカの基本姿勢として、アメリカのアメリカによるアメリカのための国際戦略は、そんな甘いものではない。
 


2013年10月26日土曜日

市街戦のジャズメン

 「もうひとつの朝」ー左藤泰志初期作品集ー 
               福間健二編(河出書房新社2011•5•20)所収

 1967年『市街戦の中のジャズメン』として発表、北海道新聞社主催「有島青少年文学賞」で優秀賞受賞。高校生の作品としては、掲載にふさわしくないと判断され、新聞には掲載されなかった。佐藤泰志18歳、函館西高校在学中の作品。後に『市街戦のジャズメン』と改題されて「北方文芸」に掲載された。
 いきなりホイットマンの詩が引用される。陰鬱な作風がなかなか興味深い。60年代から70年代には、このような学生がたくさんいたように思う。そして、そんな青年はみな哲学的な思考回路を持っていた。いい作品だ。なぜか懐かしさを感じてしまう。
 私も、若いころJAZZ喫茶に入り浸っていたころがあった。東北のある町の『BUD』という場所。重い扉を押開けると、タバコの煙と珈琲の香りが充満したその奥の席で、セブンスターとともに瞑想にふけっていた。ときどきはチェリーだったかもしれない。生まれて初めて行ったコンサートも「オスカーピーターソントリオ」だった。」文学とJAZZとタブローに自分の精神が血まみれになった時代だった。
 函館は北海道というより、私にとっては東北の一部のような感覚だった。言葉も津軽弁に極めて近い。冬の雲は重く、気持ちを押しつぶしてしまいそうな雪雲だった。

 地下のダンスホールでの一夜、「僕」のびりびりした感性は時代を超えて訴えかける。もういちど言うが、いい作品だ。

 注:P9L9「自分の地で染まった傷ついた顔〜」は「自分の血」の誤植であろう。

2013年10月22日火曜日

H的立場ーネオ帝国主義

 臨時国会が開催されている、『特定秘密保護法案』も決まりそうな勢いだ。秘密にしなければならないこととは何だろう。本当の秘密とは、秘密であることも人に悟られないものではないだろうか。私は、子どもの頃「隠し事はいけません」と学校から、社会から、親から言われて育ってきた。「秘密」にすることは悪であるという感覚があった。青年になり、世界には「国家秘密警察」などという組織を持つ国があることを知った。ベールに閉ざされた深い闇のなかに蠢く陰謀が、国家の名のもとに行われる。世界は不条理に満ちていると知った。
 何のための秘密なのだろうか、この国はあるときから完全に開き直った。「おまえらに秘密にしなければ、この国はうまくイカナインダよ」「アホは黙って言うことを聞くんだ」「そうしたら悪いようにはしない」「おとなしくしていろ」という言葉が聞こえて来る。秘密裏に事が運ぶ。そして気がついたときには後戻りできない状態になり、日本帝国軍がアメリカ軍とともに派兵する。もちろんそこには韓国軍も一緒だ。『AKJ連合軍』の終わりない戦いがはじまる。新宿や銀座などで海外テロの爆破事件も多発する。そして地域には武装警官が配置される。そんな近未来が着々と計画されている。私だけの妄想であろうか。

2013年10月7日月曜日

台湾アイデンティティー

 監督:酒井充子   2013年 日本  ドキュメンタリー

 台湾とは、そして日本とは。このドキュメンタリーは、日本統治下(明治28年〜昭和20年)のもとで日本式の教育で育った台湾人の告白で綴られている。もちろんこの時代は公用語が日本語であったのは言うまでもない。日本が戦争に負けて、軍人たちは台湾から去った。そして、その後に入ってきたのは中国国民党であった。
 この世代の人々は、蒋介石を良く言わない。住民にとって、蒋介石は許すべからざる人間である。ヒトラーのようだとも言う。国民党は台湾が独立運動をされると困るのだ。有無を言わせず、我が物にしなければならない。弾圧や処刑が横行する。これが現実なのだ。「台湾は見捨てられた民族だ」旅行会社を経営する男が言う。
 我々は本当に台湾というところを知っているのだろうか。たんに親日だといっても、そこには負の歴史がある。蒋介石は反共産主義だからと言って、讃える人たちがいる。殺戮の首謀者に共産も反共もない。ついこの前まで、言論の自由さえなかった場所なのだ。

2013年10月2日水曜日

世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜

 原題:How to make a Book with Steidl  監督:ゲレオン•ヴェツェル&ヨルグ•アドルフ
                                 2010年 ドイツ

 ドイツ•ゲッティンゲンにある出版社『Steidl』は、世界のアーティストから注目されている出版社だ。経営者ゲルハルト•シュタイデルは妥協を許さない。紙の質、手触り、ページを捲る音、紙の匂い。そべてにこだわり、デザインから印刷までこの『Steidl』で作り上げる。量より質を重要視する。大手出版社のような利益主義とは真っ向から対立する立場をとり続けている。しかし、この小さな出版社は潰れないのだ。なぜなら世界のアーティストや美術館から依頼が殺到し、向こう数年間はすべて出版予約で埋まっているからだ。
 シュッタイデルは世界を飛び回り、注文主と直接出版計画を詰める。電話などで打ち合わせして進めるよりも、はるかに確実に効率的に仕事が進められるからだと言う。写真家ロバート•アダムス、作家ギュンター•グラス、ファッションデザイナーのカール•ラガーフィールド、彼ら超一流の芸術家たちとの仕事、そして世界のどこにでも打ち合わせのために飛ぶ。本当は自分の仕事場で紙とインクの匂いの中に居たい、というシュタイデル。
技術屋である。思えば、アジアに位置する日本という国も、かつては技術屋の国ではなかっただろうかと思った。その国は、かつてドイツに学んだ。でも、いまは世界を席巻するUSAに全てを託している。西欧諸国も、アジア諸国も、その日本という国に対しては、そのような認識が確立している。まあ、しかたのないことではある。実際その通りなのであるから、言い訳はできない。

2013年9月16日月曜日

最後のマイウェイ

  監督:フローラン•エミリオ•シリ     英題My Way 仏題Cloclo      2012フランス

 フローラン•エミリオ•シリ。1965年、フランスのロレーヌ地方出身。フランスで「クロクロ」と愛称されていた人気歌手クロード•フランソワの伝記的作品。
 「My Way」と言えば、フランク•シナトラの名曲という印象が強い。しかし、その原曲があった。長谷川きよしはフランス語でクロードの歌を歌っているが、シナトラのものとは歌詞が大きく違う。人生の終焉を歌うのではなく、失恋の歌である。
 父親がスエズ運河会社に勤務していたので、クロードはエジプトで生まれた。裕福な一家だったので、このエジプトでの生活が大きな思い出となっている。しかし、時代の急激な変化によって、家族はモナコに逃れた。クロードの人生は波瀾万丈だった。日本でもおなじみのフランス•ギャルとの恋愛問題もあった。さまざまな恋愛遍歴と、個性的過ぎるとも言える彼の性格。父親との確執、ギャンブル好きな母との諍い。そして、不慮の事故で39歳の人生を終える。成功と悲劇が凝縮された人生「My Way」もいいのだが、「Comme d'habitude」(いつものように)もいい。以前パリ在住の日本人アーティストとスペイン人アーティストに引っ張られるように連れて行かれたパリ12区あたりのトルコ料理の店で、トルコ人らしい店主が、「コンダビチュード?」というのが耳に入った。「いつものやつ?」と聞いていたのだろうか。略して「コンダブ」とも言うらしい。
 懐かしいフレンチ•ポップス、シルビー•バルタンもミッシェル•ポルナレフもいた。もちろん「夢見るシャンソン人形」のフランス•ギャルも。その中にクロードもいたのだ。深夜放送世代としては、なんだかしんみりする。

2013年9月5日木曜日

標的の村

      2013年  監督:三上智恵  日本 ドキュメンタリー

 沖縄県東村高区、ヤンバルの森が広がる場所。米軍のヘリパッド建設が計画されている。住民の反対運動が激しい場所である。防衛施設局に説明を求めても門前払い、シュプレヒコールもむなしく響くだけ。自分たちの生活を守るために住民がとった最後の方法は、ゲート前の座り込みだった。
 しかし、それから間もなくして裁判所から住民15名に対して呼び出しがあった。『通行妨害」として、国の仮処分申請があったのだ。その名簿の中には、現場に行ったことも無い7歳の女の子の名前も記されていた。住民の代表者の娘だったのだ。家の目と鼻の先にオスプレイが配備されるのだ。なんとしても生活を守らなければならない。しかし、そこに立ちはだかるのは、アメリカではなく日本国政府であり、那覇防衛施設局なのだ。同胞が敵だったのだ。
 沖縄という現状を本土の人々は知らない、知らされていない。巨大なマスコミはそれに触れようとしない。マスコミもまた企業としての経営が優先されているのだろう。ただ現場だけが苦しんでいる。これは沖縄だけではなく、福島もそうなのだ。
 高江にはかつてベトナム村があったこと、村民がベトナム人の役をさせられていたこと、そこに枯れ葉剤が使われていたこと。我々はきちんと事実を知り、判断しなければならない。国家はけして我々の見方ではない。残念ながら現実はそうなのだ。日本政府は一体誰のためにあるのだろうか。沖縄は軍事基地であると同時に、世界でまれに見るアメリカの実戦訓練上なのだ。だから、深夜にライトを消して軍事ヘリが低空飛行をしたりするのだ。実践訓練をするのだから、当然事故が起こる。極論ではあるが、事故が起こった方が、次の訓練や機器の改良に活かされるのだ。

2013年8月25日日曜日

楽園からの旅人 -il villa di cartone-

 監督:エルマン•オルミ           2011 イタリア

 原題は「il  villa di cartone 」厚紙の村という意味だろうか。アフリカから逃れて来た人々と、取り壊されようとしている教会の話である。楽園から誰が来たというのだろうか。
 この教会で長年つとめてきた司祭(マイケル•ロンズデール)は、取り壊される教会を守れなかったことに苦悩している。いとも簡単にキリストは像は撤去させられ、明日にも教会は崩されようとしているのだ。そのような折、アフリカから逃れて来た移民が一夜を過ごすためこの教会に身を寄せて来る。最近のイタリア映画に、アフリカからの移民を題材にとったものがよく公開されている。この作品もまたそのひとつである。しかし、この作品の特徴は、その移民たちが、身も心もボロボロになってやってくるわけではない。彼らの表情を見ると、それぞれに強い意志が感じられる。どこか崇高な感じすら受ける。この教会を取り壊そうとする者たち、あるいはその社会に対して、何かしらの啓示でも与えるような印象がある。そのような見方をすると、「厚紙の村」という言葉の意味が明らかになってくる。

2013年8月24日土曜日

ノーコメントbyゲンズブール

 監督:ピエール•アンリ•サルファティ        2011 フランス

 セルジュ•ゲンズブールを追うドキュメンタリー。本名ルシアン•ギンズブルグ、ロシア系ユダヤ人。火のついたタバコを片手に、ステージで歌ったり、恋人とふざけ合ったり。 フィルムの中のゲンズブールは、すべてを煙に巻いているようだ。断片的な言葉が彼の口からこぼれ落ちる。そもそも、そんなに饒舌ではない。なによりもしゃべることが優先されるような、西欧的価値が、そこからは見いだせない。その断片的な言葉が魅力的だ。まるで古い図書館の日の光から見放された暗い片隅に、ひっそりと置かれた革装の本を開いたような言葉。アフォリズム。ゲンズブールのレベルまで行かなければ、理解できない。「どうだ、こここまで来てみろ」と言っているように思える。
 おそらく彼ほど、古のパリの空気を感じさせる人物はいないのではないか、と思わせる。いい意味でも悪い意味でも生粋のパリジャンなのだ。気怠い空気が満ちる路地裏の詩人なのだ。魅力的なアンニュイだ。ますます惹きつけられてゆく。
 ゲンズブールは、いまなお人気がある。彼のお墓には、紙巻きタバコや花束や真っ赤な
KISSの跡でいっぱいだ。


                                                 2012    PARIS14区 モンパルナス墓地 photo  S,Hanada

2013年8月11日日曜日

2013個展

 8月11日本日個展終了日。日本全国が猛暑のただなか、都心で37度を記録しているということは、おそらく銀座周辺の気温はもっと高いだろう。歩くだけでも堪えられないので、こんなときに美術展というのもやはり考えてしまうだろう。仕事の都合でどうしてもこの時期になってしまう。少し考えてみようかしらん。三月ぐらいとか。
 表現とは?自己の存在とは?この世の中での永遠のデラシネ。私の作品は作品であって作品ではない。自分を見つめる鏡のようなものである。そして人間や世界へのひとつの視点の提示である。「虚実皮膜」の向こうに透けて見えるもの。それはいったい何なのだろう。(呵々)

2013年8月2日金曜日

気まぐれ、野郎メシ(古くなりかけたキュウリをつかいこなせ!)


 気がつくと、冷蔵庫の中で「キュウリがヤバイ!」こんなことは日常茶飯ではないだろうか。新鮮なものならば、どうにだって使える。
 そこで、どうすればいいのか。答えは簡単。「焼いてしまおう」ということ。
1、は乱切りにして、沖縄ペンギン食堂の『石垣島のラー油』を使ってフライパンで焼い たもの。味が不安だったので、塩少々など。味が濃いのでトマトと合わせた。
2、は生姜と塩胡椒醤油で焼いた。
3、はそのまま『石垣島のラー油』のみで焼いた。

反省:2が成功。1はまあまあ。3はもう少し工夫が必要。ラー油は、たまたま手元あった貴重なもの。最近は手に入りやすいかも。以前は石垣島でも一人二個しか売ってくれなかった。古くなったものを強引にねじ伏せようとしただけかもしれない。

2013年7月28日日曜日

今回の個展

 8月5日から個展がはじまる。今回は青以外の色を禁じた。作業をしていると、どうしても、だんだんと他の色を使いたくなる。もちろんすべては自由なのだが、作品については、己の自由と規制を自らが決めなければならない。その意味ではきわめて禁欲的作業が必要となってくる。
 思えば、黄色からはじまり、現在は青の世界にいる。めざすは豊穣なる青の世界。先日上野の国立科学博物館の『ダイオウイカ展』に出かけたのだが、そこでこんな説明が書かれてあった。太陽光の赤は海に入るとすぐに吸収されてしまうが、青は海底1000メートルまで届いているという。そうなのか、だから地球は青の世界なのだろうか。だれかが「地球は青かった」と言ったが、青であるかぎり地球そのものは大丈夫なのかもしれないと、思えてくる。
 私の作業は、意図された瞬間からはじまる。しかし、そこに大きい偶然が侵略して来る。そして偶然そのものが、極めて美しい。しかし、偶然に頼るならば人知の意味は見いだせない。意図と偶然の往来から必然へと止揚して行くことが重要である。つまり、ひとつの仮説からはじまり、その仮説を裏切る事実が表出してくる。その表出された結果を秩序づけることが、私の作業なのだろう。瞬間から永遠への作業なのである。

2013年7月17日水曜日

気まぐれ、野郎メシ(ロース肉キムチソースがけ)


 まあ、またまたキムチです。
今回はこんなのです。

豚ロース(冷蔵庫に余った分)
キャベツ
長ネギ


 キャベツは、レンジスチーマーで調理しておく。ロース肉はフライパンで焼く。別なフライパンで、長ネギとキムチを炒め合わせ、味噌で味を整える。
キャベツを敷き、そのうえにロース肉。上からソースのようにキムチをかけて出来上がり。

反省:なし

2013年7月13日土曜日

25年目の弦楽四重奏

 監督:ヤーロン•ジルバーマン       2012年 アメリカ

 25年続いた弦楽四重奏団の苦しみと再生を描いたもの。しかし、「苦しみと再生」というと、なにかしら言葉足らずで陳腐なものに思えて来る。たしかに苦しみと再生なのだが、もう少し本質に踏み込んでみるとそこに見えるのは「愛」の概念と質である。
 四重奏なので、演奏家は四人。第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。この四つの楽器の役割はそのままその演奏者の人間的な役割に重ね合わされる。実人生と、芸術が合わせ鏡のようになっている。ここにこの作品の深さがある。わたしたちは、例えばすばらしいカルテットを聴くと、感動し心豊かにな気分になる。でも、やはりそこには生きた人間のさまざまな事情があり、それぞれが心の闇を抱えている。
 この作品は思った以上に素晴らしいものであった。ぜひ、薦めたい一本である。チェロのピーター(クリストファー•ウォーケン)はこの楽団の創設者。その哲学者前とした風貌が魅力的だ。職人的な芸術家第一ヴァイオリンのダニエル(マーク•イヴァニール)は神経質な芸術至上主義であるが、あるきっかけで情熱を押さえきれなくなる。第二ヴァイオリンのロバート(フィリップ•シーモア•ホフマン)はクラシックに限らず、音楽そのものに対する情熱があるが、それを押さえ込むストレスを抱えている。そしてその妻ヴィオラのジュリエット(キャサリン•キーナー)は三人の間で苦しむ。
 芸術家としベートーベンの弦楽四重奏の忠実な再現者として全てを封じ込める。しかし、この四人はまぎれもなく一個の人間存在そのものであり、ステージを下りるとその剥き出しにされた個性が、ぶつかり合う。そして愛とは。エロスからアガペーに昇華されたようなラストは圧巻。

気まぐれ、野郎メシ(トマトとキャベツのサラダ)


キャベツ:トマト:玉葱:牛乳:マヨネーズ

キャベツと玉葱をレンジスチーマで3分ほど電子レンジ。少し塩をかけておくといいかな。熱いのでそのまま冷やしておく。適当に冷えたら、冷やトマトを切り、マヨネーズを牛乳少々で溶いたドレッシングで野菜全部を和える。もちろん冷えれば冷えるほど美味しい。パセリをパラパラっとふりかける。


気まぐれ、野郎メシ(チャンプルー風ソーミン)


素麺:二束
玉葱:半分
シメジ:冷蔵庫の残り全部
蕪:残りもの
ツナ缶
乾燥パセリ


 玉葱とシメジと蕪を炒める。そこに茹でた素麺とツナ缶を入れて軽く炒め和える。味付けは沖縄そばの出汁を使う。最後にパセリをかける。
 なんと簡単。

反省:スープのツナ缶を使ってしまった。当然この場合は油のツナ缶にするべきだった。

2013年7月8日月曜日

H的立場ー「醜いネットの書き込み」も容認、美しい日本の言葉はもうとりもろせないー


 前回あたりから、ニコニコ動画で党首討論などが行われたりするようになった。そして今回の選挙でネットがOKになったとか。どうして、ネットに動画が流れると、わけのわからない汚い書き込みが、猛スピードで流れるのか。誰が言い放っているのかもわからない。悪意の第三者か?自分を隠して言えば、どんな汚い言葉でも誹謗中傷でも流れてしまう。そして誰も責任をとらない、とれない。むかし「ネチケット」という言葉があったような気がする。「ネットのエチケット」と聞いたような気もする。もうそんなことも全ての人々の意識の外。この流れるような汚い書き込みは、どうやら多数の人間の仕事ではなさそうだ。すくなくとも私にはそう思えて仕方がない。罵詈雑言に共通性があるからだ。つまり、頭をつかわなくていい言葉が羅列されている。特定のヒマなおばかちゃんがやっているような気がする。でも、たぶん当たっているはずだ。政権政党がそれを利用している。あるいは、やらせている。

具体例
 この女大嫌い。バカじゃないの。売国奴。くずだな。最低だね。◯◯は死んで詫びろ。
最低だねあんたたち。ゴミはゴミ箱でしょ。あほか。ババァキモ杉だろ。野党はバカばっか。こういうクソジジィをテレビに出すな。くそTBS。NHKも消えろ。糞野党。

 深くかんがえる必要もない言葉。Aちゃん大丈夫でしょうかねえ。昔は、美しい日本なんて声高に言っていたけれど。「とりもろす、とりもろす!!」またAちゃんが叫びはじめた。

2013年7月7日日曜日

スタンリーのお弁当箱ーStanley ka dabbaー

  監督:アモール•グプテ         2011年 インド

 スタンリー少年は、かわいそうな子だが、そんな素振りを一切見せないクラスの人気者。いつも明るく笑っている。いろんなことが出来て、みんなから尊敬もされている。でも、彼は学校にお弁当を持ってくることが出来ない。友だちはみんな自分のお昼ご飯をスタンリーに分け与えているのだが、そんな様子を国語教師ヴァルマーは嫌っている。
 「自分のお弁当を持って来れないやつは、学校に来るな!」とヴァルマーから叱責され、スタンリーは深く傷つく。友だちは、みんなヴォルマーに厳しい視線をむける。でも、明るいスタンリーは笑顔で乗り切ろうとがんばる。
 もちろん社会背景には、貧困と児童労働問題が透けて見える。でも、そこに生きる人々は一所懸命やるしかないのだ。それも笑顔で。なんだか、何十年前かの日本の学校現場をみるようなノスタルジーを感じる。スタンリー役のパルソー少年は、監督グプテの息子。とてもピュアでいい。国語教師のいけ好かない不潔な男は、なんと父親のアモール•グプテ監督自身だ。一日も学校を休ませることなく短時間でこの作品を撮影したらしい。ここにも、監督の良識が垣間見える。
 梅雨明けの空のようにスッキリした感覚にさせてくれる。スタンリーに、こっそりお弁当を作ってくれた店の従業員は優しく素敵なクールガイだ。
 それにしても、素手で油物を食べるのは個人的にまだ受け入れられないのだが•••••。

2013年7月6日土曜日

気まぐれ、野郎メシ。

揚げ出し豆腐
○水切りした絹ごし豆腐
○小麦粉
○だし汁
○醤油
○砂糖
○片栗粉
○白髪ネギ

 小麦粉をまぶして油で豆腐を揚げる。カツオだし、醤油、砂糖で汁をつくり、片栗粉でとろみをつける。白髪ネギを乗せて、汁をかけて出来上がり。

                
反省:油を節約しているので、お豆腐の形がくずれた。フライパンで揚げ焼きしているからだ。白髪ネギを水にさらすのも忘れてしまった。

                                 でも、味はOK。


                  
焼うどん風オキナワそば

○あまった沖縄そば1人分
○しめじ
○長ネギ
○ガラスープ
○パセリの粉末

 沖縄そばを袋のまま、電子レンジ。少しは袋に穴をあけますよ。しめじと、上の白髪ネギを作った残りの長ネギを炒めて、その後、沖縄そばを入れて、普通に炒めるだけ。味つけは、顆粒状のガラスープを使う。最後に緑が欲しかったので、パセリの粉末をパラパラかけた。

反省:具が少なかった。もう少   
   しボリュームが欲しい。

2013年7月5日金曜日

iPadでコラム

 最近寝る前に蒲団のなかでコラムを読んでいる。各新聞のコラムなので気軽に読み切ることができる。本を読むのと違って、液晶自体が明るいので、電気を消したままでいい。眠くなったらそのままiPad miniを放置してしまえばいい。
 「たてコラム」というアプリがあり、これがなかなか便がいい。北海道新聞の「卓上四季」•  函館新聞の「臥牛山」•  福島民報の「あぶくま抄」•  琉球新報の「金口木舌」•  八重山毎日新聞の「不連続線」など、それぞれに興味深い。地域の情況や世界への視線など論点はじつに多様だ。教えられることがたくさんある。知らなかった地域の状況などリアルタイムで知ることが出来る。『日台漁業協定』に対する不満爆発が八重山諸島などの漁協で起こっていることに、コラム「不連続線」で知らされた。いろいろなことが安倍内閣の主導で行われている。台湾に譲歩した水域で決めたらしい。それは中華民国と中国が連携して尖閣諸島に実力行使している現在、中国を牽制する意図があるということだ、実際中国が資金提供して台湾の活動家を動かしているということである。つまり日本政府は台湾と中国を仲間割れさせようとしているらしい。
 全国の主要なコラムを読んで様々に勉強させていただいている。
 思えば、「ハーグ条約」を批准したのも最近のことだ。米国が強烈にプレッシャーをかけてきたらしい。これについても深く知らなければならないと実感している。
 

2013年6月30日日曜日

嘆きのピエタ(PIETA)

 監督:脚本 キム•ギドク               2012年 韓国
キャスト:ミソン:チョ•ミンス
    :ガンド:イ•ジョンジン

 予告編を何度か観て、自分の好みではないのでは、と思っていた。ヴェネチア映画祭のグランプリ受賞というのは、情報として知っていた。また、この映画祭には北野武も出品していたことも。絶対に観たいという気持ちで映画館に入ったわけではなかった。
 しかし、見事に私の心をこの作品は鷲掴みにしてしまった。ガンド役のイ•ジョジンがすばらしい。この孤独感は圧倒的だ。なにかを覚悟したようなイ•ジョジンの表情は、そう易々とは出来ないだろうと思う。そして、何と言ってもキム•ギドクの本と演出の凄さである。確かに残酷な場面はたくさんあるが、極めてスリリングであり、象徴性を宿している。「人の心」とは、そして「慈悲」とは、我々はこの世の深い闇の底に下りていかなければ、その本質をつかむことはできないのかも知れない。そう思うと、キムは確実にその闇のとば口にいるのかも知れない。ラストシーンが心を締めつける、そしてエンドロールとともに流れるパンソリが耳に残った。北野には太刀打ちできない。
 ル•シネマで、私の誕生日6月15日に観た。

気まぐれ、野郎レシピ(キムチ鍋ダァ〜)


 私の定番、「キムチ鍋」です。夏でも冬でも、材料さえあれば作ります。頻繁に作っているので慣れてきて、最近はかなりいいかげんです。

レシピ:豆腐•白菜キムチ•長ネギ•味噌•豚バラ肉•ゴマ油

ゴマ油を鍋に入れ、バラ肉•長ネギの順番で炒め合わせる。キムチを入れて豆腐。後は水を入れて適当な時間がきたら、味噌で味を決める。ただそれだけ。お酒を入れてもよし、他の具材をいれてもよし、豆板醤で辛みを高めてもよし。まあ、チャンプルーと言う感じ大丈夫です。食べ終わった後の汁にご飯を入れて食べると、これがまた美味しい。

反省•••ちょっと緑が欲しいですね。パラパラっと葉物をこまかく切って最後に散らしても  いいかも知れない。こんどはそうしよう。

2013年6月12日水曜日

気まぐれレシピ(サルサ的パスタサラダ)


  レタス••••••適当   トマト••••••一個   大葉••••••二枚みじん切り
  ニンニク••••••二カケラみじん切り  塩•••適当  レモン••••半個
  パスタ••••適当


  パスタを茹でる。トマトざく切りにし、大葉とにんにくをみじん切りし、レモン汁
  をかけ、塩で調整しながらパスタと和える。レタスをちぎって、完成。

  反省•••味にパンチがない。オリーブ油などを使ってもいいかもしれない。ただ、塩
     を多めにするのは避けたいものだ。

  

2013年6月4日火曜日

ベーコンBACON

 フランシスコ•ベーコン展(2013/3/8〜5/26国立近代美術館)
 その昔、美術出版社から『みずゑ』という雑誌が発刊されていた。ある日、まだ青年だった私の目に強烈に飛び込んで来た男の写真があった。画布を前にした男がふりかえるようにこっちを見ていた。射るような目、クルーネックのセーターを着、細いパンツにスエードのデザートブーツを履いていた。そして、この男の名前はフランシスコ•ベーコン。強烈にクールだ。私は『みずゑ』の表紙を飾るこの男に魅せられてしまった。作品は知らない。15世紀から16世紀にかけてイングランドで活躍し、「知は力なり」という言葉でよく知られるあの形而上学の哲学者と同名だ。
 その後、機会ある度に私はベーコンの作品をさがすことになった。そして今回の大きな回顧展は私にとってこのうえない喜びとなった。ベーコンの作品は、人物がほとんどだ。いや、人物のようなものといった方がいいかもしれない。
 人物は人物ではない。人間は名付けられたものを名付けられたものとして見て、そして考える。前提は常に名付けられたものである。認識というものはつねにここからはじまる。それはジグゾーパズルのように、あるべきところにあるべきピースを埋め込んで行くように。例えば人体らしきものが描かれてあると、人々はそれを人体として見ようと努力する。現実の身体を身体として認識するためにはそれでいいだろう。では、ベーコンにとっての人体というのはいったい何なのだろうか。しかし、こんな問いも無駄なのかもしれないのだが、作品から受ける印象は強い意志を感じる。極めて意図されたものであるように思えるが、もしかしたら存外なにも考えていないかもしれない。作品ができてからそれをきっかけとして思考するのかもしれない。身体は身体として描かれるのではなく、あくまでも、「そのようなもの」として提示される。そのことにより、現実の身体とは何なのか、という新たな問いが生じる。人間の現存在は、身体を持っている。あるいは身体を得ている。存在の普遍的な前提として、身体性がある。したがって、身体を喪ったときが死というものである。そこで、何が身体でありどこまでが身体なのかということを突き詰めて行くと、実存主義に大きく傾いて行くことになる。特定の個を持たないヒトに似たうごめく何かが、画布の上に描かれている。美しくもなく、ただ物体としてそこにある。なぜかとてつもなく危うい。椅子に座している枢機卿のような人物も、枢機卿という符号が消えて、枠による閉ざされた人として見ることができる。逆に言うと、閉ざされているものが枢機卿であるのならば、すべての人間は皆一様に閉ざされているということを意味する。そこから、社会というものはそもそ人間自身を閉ざしてしまうものという認識すら導きだしてしまう。椅子に座している枢機卿を描いているうちに、肘掛けに載せている腕が、スフィンクスのようにも見えて来て、スフィンクスに興味が出て来る。つまり、描くという行為から、意味付けが連鎖して行く。しかしながら、全てを意味論として見て行くことにも重大な落とし穴が隠されているようにも感じてしかたがない。絵が開くというのはベーコンにとって、答えが予測されない実験のようなものだったのかも知れない。そのような見方をすれば、ベーコンは完全に抽象作家である。見る者のガラスの映り込みを意識していたのであれば、ことさらそう言えるのではあるまいか。
 しかし、作品にジョージ•ダイアーが出てくるところは、さすがにベーコンは科学者ではなく画家そのものであったに違いない。

2013年4月7日日曜日

海と大陸 Terraferma

 2011年イタリア/フランス 脚本:監督エマヌエール•クリアレーゼ
 南イタリア、シチリア海峡ペラージェ諸島の小さな小さなリノーサ島の漁師たち。古来そのなりわいは漁であった。しかし、世界が大きく変わるのにしたがって、この離島も例外ではなくなっていた。海に住む魚の状態がかわり、観光という新たな産業に頼るしかなくなってくる。北イタリアの比較的裕福な人々が、夏のヴァカンスに訪れる場所。漁船を観光クルーズ船として利用する住人も出てきている。
 しかし、この島はもうひとつ大きな問題を抱えている。それは、アフリカが距離的に近く、ヨーロッパに向かう難民が逃れて来る場所になっているのだった。イタリア政府からはそのことに厳しく対処するための警備組織が強められてもいるのだった。
 昔気質の漁師エルネスト(ミンモ•クテイッキオ)とその孫フィリッポ(フィリッポ•プチッロ)はいつものように漁に出ていたのだが、水平線の向こうに何かを発見する。見るとそれはアフリカからの難民の筏だった。漁船を見て何人かの難民は泳いでやってくる。助けてしまうと、法に触れるのだが、警備船が来るまえにエルネストはその数名を漁船に引き上げ救出する。そのなかには妊婦もいたのだった。どんな状態であっても海に投げ出されているものがあれば救出するのが、シーマンシップなのだ。このことが、この小さな島の大きな問題になってくる。法にそむいてもなんとか難民の命を救おうとするエルネスト、そしてラストシーンでのフィリッポの決断は印象的だ。
 この物語は、いまの世界が抱えている大きな問題である。そしてこの問題は、その国その地域が地理的にどのような場所にあるか、ということも大きく影響している。地政学的なものである。もちろん国家として対処しなければならないことはある。ある基準を決めなければ、国家間の関係が危うくなることもある。しかし、それぞれ個々の人間が実際に直面することは、目の前にある命の問題である。
 思えば我々の住むこの日本も地理的に厳しい場所にある。中国•韓国•台湾•アジア諸国と米国の動向が直接影響する。もし太平洋のまん中だったり、大西洋の方だったりすると、また全く違うことになっていただろう。おまけに地球のプレートが複雑に入り組んでいる地震多発の場所でもある。我々はこの宿命をきちんと受け入れ、ものごとの判断をしていかなければならない。この映画作品を見て、そのようなこともしばし考えた。

気まぐれレシピ

なんということもない。そろそろ痛みかけたミニトマトを半分に切り、オリーブオイルで炒めて、塩胡椒で味付け。緑は、イタリアンパセリ。ただそれだけ。
 まあ、ブログで発表するものでもないかも。

2013年2月23日土曜日

H的立場ー2

 沖縄普天間基地移転を、名護市辺野古にするという日米合意を速やかに進める。ということをAちゃんは、オバマと会談して決めた。沖縄のN知事は「県民はなるべく県外へ出してもらいたいという強い願いがある」と言ったが、Aちゃんは、「普天間基地の固定化は、絶対あってはならないことですので、米国との合意の中で進めていきたい」と、なんだか会話になっていなかった。たぶん本気で会話をしたくなかったのだろう。はっきり言わない。「日米の合意」という言葉を持ち出す。マスコミも実におとなしいものだ。ハトちゃんが、辺野古ではなく最低でも県外ということことを言い出し、それがかなわないことで大批判シュプレヒコールを繰り広げたが、すべてはゼロベースで元の木阿弥、白紙撤回したAちゃんには批判はしない。そう、批判は怖い。そしてAちゃんは「沖縄振興予算を3,001億円計上した」とまたまた札ビラを切って、相手の両頬をぴたぴた。あげく、「この3年間の間に失われた、国と沖縄県との信頼関係を再構築する」と言う。なんでもかんでも前政権が悪いという話に持って行く。このレトリックは誰が指導しているのだろう。辺野古に移転することを琉球の人々は願っているのだろうか?県外移設を願っているんでしょ。オバマと決めたことは誰も反対できないでしょ、と言うことなのだろうか。オバマと話さなくても、前から決めていたのにね。自分のバックには、大アメリカ国家と米国防総省という光背があるのだ。という意識かな。
 Aちゃんは何を「とりもろす」のだろう。以前「美しい国、美しい国」と連発していた。美しい国、美しい沖縄の海、ジュゴンの未来は「とりもろさない」のだろうか。「日米安全保障条約」をとりもろしたら琉球はとりもろせないでしょ。昔から美しい日本のことわざに、「二兎を追うものは一兎をも得ず」とある。

H的立場ー1

 Nちゃんも、Aちゃんも所詮「同じ穴の狢」という感多々である。A国の◯◯◯に参加すべきとのNちゃんから政権がかわり、Aちゃんは当初◯◯◯参加には意欲的ではない発言を繰り返していた。そのうち、「聖域なき」は考えないという発言になったのだが、わざわざ税金を使って、A国に行き「飛んで火にいる夏の虫」ということになった。というよりも、最初からこのシナリオは決まっていて、演出通りに芝居が運んでいるというほうが、真実を突いているだろう。やっぱりという思いがあり、またもや私の心を鬱にしてしまう。
 すべてはA国のいいなり。昔からいいなりだったが、またまたいいなり。それにしても、わざわざ大きな旅客機に乗って、A国に行かなくたっていいのではないか、と思う。そんなに◯◯◯に参加させたいならば、向こうからお土産をいっぱい持ってくればいいではないか。結局呼びつけられたのか、と思ってしまう。R国からも、◯◯領土の件について、Aちゃんに訪問して欲しいと言っている。これも体のいい呼びつけか。
 つらつら思う「絶対A国なんかの言うことを聞かないぞ!お前こそ帝国主義の悪人だ」という姿勢を貫いている、北◯◯国や、中◯や、中東の一部の人々のことを。A国の価値基準のみで判断していいものか。ダメなものはダメという態度は悪いことではないはず。A国の言葉が、実質世界の共通語になったように、すべてのものをA国化してはならないと思う。

九条美術展

 第3回「九条美術展」(4•16〜21)に参加することにした。王子でやったときから参加しているが、今回は仕事の都合で参加できないと思っていたところ、事務局から電話をいただいた。小品なら郵送でもいいから参加して欲しいということで、小品を出品することにした。先日DMとチラシが届いた。
 「九条美術展」という名称を聞き、イデオロギーが強い政治団体のことを想起する人がいる。しかし、憲法を変えて集団的自衛権(同盟国の安全のために、重火器を携えて中東などの前線基地に派兵する)を確立しょうという政策が現実味を帯びてきている現在、すべての党派を超えて、意思表示をすることが必要であると思う。自分の作品を発表することでアンチの姿勢を示すことになればいい。
 埼玉近代美術館での3回目となる「九条美術展」である。

2013年2月17日日曜日

エル•グレコ


 金曜は夜まで美術館が開館している。その日は2月8日、寒い金曜日だった。リニューアルされてはじめての東京都美術館。スペインの巨匠エル•グレコ没後400年、大きな回顧展だ。40年以上も前のこと、東北の田舎町でこの巨匠の存在を知った。エル•グレコの作品をまとめて見ることが出来る。それも縦3メートルを超える大作『無原罪のお宿り』が展示されるのだ。寒い夜でも心はうきうきして出かけた。
 1541年ギリシャのクレタ島に生まれた。名はドメニコス•テオトコスプーロス。その後ローマに行き、35歳ほどでスペインに渡りエル•グリエゴ•デ•トレドとして知られることになった。エル•グリエゴ•デ•トレド(EL Griego de Toledo)スペイン語で「トレドのギリシャ人」という意味だ。そして、いまは「EL Greco   エル•グレコ」という名で知られる。しなった身体に上を向いた目、独特の人物像だ。はるか昔にエル•グレコの映画作品を見たような気がする。1966年にルチアーノ•サルチェという監督が作った作品だろうか、劇場では未公開でTVでは放映されたと記録にある。高校生のころだったろうかと思うので、TVでこの作品を見たのだろうか、キリストの頭より上に人々が描かれているという罪で宗教裁判にかけられるという場面があり、強い印象になっている。18世紀以前のヨーロッパの代表的な画家「オールド•マスター」に数え上げられる画家だ。
 グレコの作品では好きなものと、そうでもないものがある。今回の回顧展の作品では特に1600年頃の作品『フリアン•ロメロと守護聖人』(206.7×127.5)が好きだ。守護聖人がいい。個人的にエロスを感じてしまう。また同じころに描かれた『ある枢機卿の肖像』(57×46)の小品もいい。会場最後に『無原罪のお宿り』がある。この大作は、全体像が見たいからといって、後ろに引いて見てはいけない。あくまでも作品の間近で、それも下から見上げなければ真の意味が見えてこないように思う。腰を落として見ていたら、となりで見ていた人がしゃがんで見始めた。そうそれでいい。充分作品を堪能して出口に向かい、フッと振り返ったら、みんながしゃがみこんでいた。
 すこしばかりお酒をのみ、遅い夕飯を食べて帰途についた。

子供の頃『青空布団の物語』


 子供の頃、木造二階建の二階部分は一階の部分よりも広さは小さかった。つまり、二階の窓から一階の屋根にひょいと出ることができた。そんな感じで物干し台などがある家もあった。青空の日などは、一階の屋根にふとんを干していたので、わたしは誰もみていないことをいいことに、暖かいふとんにゴロッと横になり青空を見上げていた。
 さまざまな空想にふけっていた子供の頃であった。空を見ていると、そのまま空に吸い込まれて行くような感じがしてならなかった。吸い込まれるというか、感覚としては空に落ちて行くという感じだ。ひとりで、そんなことばかりしていた。現在の家は、屋根におりることが出来ないので、そんなこともできない。そう、屋根に上がるではなく、屋根に下りるということだった。
 その後、国語の教科書で「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」という石川啄木の歌に出会い、感慨深いものがあった。

Cesare deve morire 邦題『塀の中のジュリアス•シーザー』


 2012年 イタリア 
         監督•脚本 パオロ•タヴィアーニ/ヴィットリオ•タヴィアーニ

 ローマ郊外にあるレビッビア刑務所では受刑者に定期的に演劇演習をやらせている。この作品は、実際にその刑務所で撮影されていたドキュメントである。ブルータス役のサルバトーレ•ストリアーノは、実際にレビッビアで刑を終えた人間であり、現在俳優をしているのだが、この作品のため受刑者の役として参加している。受刑者の役でありブルータスの役でもあるというおもしろい立場である。
 このような刑務所の存在を知ることも、その状態を知ることもなかなかできないが、映画作品によって、その存在を知ることになりなかなか興味深い。演劇の稽古によくありがちな俳優たちのトラブルもあり、塀の外となんら変わることがない。みんな役者として鍛えられているので、見ていてドキュメンタリーのような感じがしない。
 とても興味深く、おもしろい。

Comme un Chef 邦題『シェフ』

 
 2012年 フランス  監督•脚本:ダニエル•コーエン

 
 パリの三ツ星レストランのシェフ、アレクサンドル(ジャン•レノ)は新作メニューが生まれず、オーナーとの仲もギクシャクしている。二代目のオーナー、スタニスラス(ジュリアン•ボワッスリエ)はアレクサンドルを首にして、時代の最先端「分子ガストロノミー」に変えようかとも考えていた。そんなとき生意気なシェフ志望の若者ボノ(ミカエル•ユーン)と出会う。アレクサンドルはボノを認めることはできないと思いつつも、かつて作っていた自分の料理を事細かに知り、再現できるボノは無視できない。話はドンドン元気に進み、コミカルであるが、三ツ星調査のことや分子料理のこと、スペインの「エルブリ」フェラン•アドリアの皮肉など、なかなかに見応えがあった。とても元気になる作品。それにしても、分子ガストロノミーというのは一体なんなのだろうか。料理の世界も、探れば探るほど奥深い。ロブションやデュカスなどのシェフを調べたりすると、もうさまざまなことを知ることになり、それだけでも膨大な時間が必要になってくる。

JIRO DREAMS OF SUSHI 邦題『二郎は鮨の夢を見る』


 2011年•アメリカ  監督:デヴィット•ゲルブ 

 銀座4丁目にあるビルの地下、『すきやばし次郎』というお店があるらしい。もちろん私は行ったことはない。そこに87歳になる寿司職人小野二郎が毎日立っている。ミシュラン三ツ星、六年連続。お手洗いはお店を出て、ビルの中。そしてミシュラン三ツ星では最高齢の職人。ミシュラン審査員フランスのシェフ、ジョエル•ロブションが絶賛するお店。このドキュメンタリーは小野二郎と二人の息子を追う。頑固一徹な職人の毎日はとても厳しいものだ。とにかく自分自身にとても厳しい。いつ行っても期待を裏切らなく、いついかなるときでもレベルを落とさない。超一流の職人というのはすごいものだと、ただただ感心するばかりである。
 鮨以外のものはなく、料金は一人前3万円〜。すべて予約制。うーん、たぶん私が行くことはないだろう。私は、『鮨勘』か『鈴木水産』に行くぐらいだ。
  

2013年2月13日水曜日

Le Premier Homme 邦題『最初の人間』


 ジャン•アメリオ監督  2011 仏/伊/アルジェリア

 アルベール•カミュ(1913〜1960)の未完小説『最初の人間』の映画化。カミュはアルジェリア出身。2013年1月、日本人10人がテロの犠牲になったアルジェリアである。仏領アルジェリアは悲しい歴史を背負っている。いや、これはアルジェリアだけの問題ではなく、全アフリカが置かれた状況なのだろう。カミュは貧しい家に育った。母も叔父もみな文盲である。家庭状況を考えると、とても高教育を受けることはできない存在であった。しかし、カミュの才能を感じた恩師の努力で、奨学金を得て中学に進むことができ、やがてアルジェ大学文学部に進む。
 この物語は、そのカミュの自伝的なものである。フランスで作家として評価され、ノーベル文学賞を受賞した作家は、故郷アルジェリアに住む母のもとに訪れる。大学で講演を頼まれるが、独立派などから激しい批判を受ける。作家は徹底的にテロリズムを否定する。そして対テロの武力もまた否定する。それがなかなか理解されない。作家に対する批判は「曖昧」ということだ。しかし、思うにこの「曖昧」というのは、極めて文学的な思考から導き出されたパロールに他ならない。象徴的な言説、示唆的な言葉。直線的なアンガージュの立場からすれば、まどろっこしくて論理性がないということになるのかもしれない。しかし、世界はもっと複雑であり、文学者の言葉は、そこから何かを読み取ろうとしなければ、見えてこない。無自覚に与えられるものではないからである。作家はフランスとアルジェリアの両方のアイデンティティーに引き裂かれながらも、自分の出自に対して限りない愛念を抱いている。
 作家がカフェで何か書きものをしてるとき、路上で激しい爆発が起きる。車が炎上し、多数の人々が犠牲者になっている。この状況は今も昔も変わらないのだ。なんということだろうか、世界にはこのような国がたくさん存在するのだ。
 作家ジャック•コルムリ(カミュ)のジャック•ガンブランがいい。寡黙な哲人だ。私より2歳年下の俳優だが、このような雰囲気をまとったUn hommeにあこがれる。

BARBARA  邦題『東ベルリンから来た女』


 
  2012/ドイツ 監督・脚本:クリスティアン・ベッツォルト

 
  閑散とした風景が広がる。時々風邪が吹くだけの寂しいところ。そこは海に近い東ドイツの小さな病院。1980年頃の話だろうか、バルバラ(ニーナ・ホス)という外科医が着任してくる。しっかりと結ばれた口元と目は、強い意志を感じることができる。そして絶望的な孤独を醸し出している。彼女はシュタージ(秘密警察)に監視されていた。ベルリンの大病院に勤務していたが、西への出国申請が認められず、地方に飛ばされてきたのだった。新しい勤務地にいるアンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)は彼女に興味を持つ。それは医師として何か惹きつけるものを持っていると感じたからなのだろう。「孤立しないほうがいい」と助言するが、バルバラははっきりと「孤立させてもらうわ」と言う。
  バルバラ、アンドレ、シュタージのシュッツ(ライナー・ボック)の三人はそれぞれ心の底に抱えられない何かがある。しかし、けして感情をあらわにしたりはしない。寡黙にいつも何かを考え込んでいる。
  作品の中には音楽などは流れない。また説明的なセリフは皆無だ。ひとつひとつの言葉が重く響いてくる。哲学的といってもいい。バルバラ、アンドレの進んだ道は、きびしい意志の力から出た結論だった。
  静かな余韻が波のように広がる。極めて私好みの作品だ。

2013年1月27日日曜日

年の始まりに••••Vol.1


さいたま市浦和区のアートプレイスでのグループ展の展示です。2013年1月7日〜15日の期間でした。






















気まぐれレシピ(あんかけ馬鈴薯)


ジャガイモを茹でる。薄切り豚かた肉を細切れにする。ひき肉でもよいだろうが、手間がかかっても、薄切り肉を細切れにした方がいいかんじだ。細切れにした肉を炒め、鶏ガラや醤油やみりんなどで味付けをするが、ほとんど適当。水溶きかたくり粉であんかけにする。
 茹で上ったジャガイモの水分を飛ばし、肉のあんかけをかけて、小ネギを散らす。

木菟(ミミズク)



 天気のいい午前中、なんとなく外の空気を確認しようと思い、マンションのベランダに出た。すると、霧除けの上になにやら生き物がいた。ネコかな?とよく見ると、なんとミミズクだ。えっ、なんでこんなところにミミズク!?たしかにミミズクだ。私の気配を感じて、こっちを見ている。といっても、夜行性なので目は見開いていない。なんだか眠そうに見ている感じだ。私の動きにあわせて、顔が動く。ミミズクは、夕方暗くなるまでそこに居た。そしていつのまにか暗闇に消えて行った。なんだか気になってしかたがない。
家人は、ペットとして飼っていたのが逃げ出したんじゃないか、という。木菟は何かの使者だったのでは、と私は思っている。
 木菟•梟が、なんだか急に身近な存在に感じてきた。森の中に存在するものたち。わたしたちは畏敬の念をきちんと持っていたいものだ。

2013年1月19日土曜日

子供の頃『天井の物語』


 
 体調が悪く、仕事を休んで一日中寝ていた。寝返りをうって横を向くと、四段の箪笥があり、表面が板目だ。ふたたび寝返りをうって天井を見ると、正目模様だ。たぶん天井のそれは、化粧紙を合板などに張り合わせたものにちがいない。ましてリビングなどの天井は、一面白いペンキの塗装だ。
 子供の頃は、あちこちが板目だった。布団に入って、天井を見ると板目模様はさまざまに躍動している感じだ。そしてところどころに節目がある。その模様は、さまざまなものを連想させた。人の顔に似ていたり、川の流れのようだったり、不思議な動物のようだったり。そして突然その板がガタリと開いて、恐怖のミイラが覗き込んだらどうしよう。などとあらぬ空想に耽って眠れなくなってしまうことがよくあった。天井には無数の物語があった。そんなことを思いながらあちこちを見回してみると、最近の建築はなんだか味気ないものに思えてくる。
 
*『恐怖のミイラ』1961年に日本テレビ系列で放送されていたドラマ。えらい怖かった。足の関節が動かない状態で歩くのだが、よく真似をして遊んでいた。とくに、屋根裏からいきなりのぞく顔は怖かった。

2013年1月14日月曜日

中村正義『父をめぐる旅』


  『父をめぐる旅 異才の日本画家•中村正義の生涯』監督:近藤正典•武重邦夫
昨年練馬区立美術館で『日本画壇の風雲児 中村正義新たなる全貌』展を見た。そのときの感動がまだ残っている。今回、東京都美術館ホールで上映されたドキュメンタリーは、この画家の生きざまを余すところなく映し出しており、あらためて私自身の作家としての姿勢を問われるような感じがした。思えば、画家なる存在は古典的には権力と密接につながっていたことは事実である。ダ•ビンチ、エル•グレコ、フェルメール、などなど貴族や教会とつながりを持たなければ仕事にならない。日本の場合でもそうだ。しかし、近代は画家が権力から離れて、自分の精神を獲得して行く方向に向かう。したがって、そこには貧乏がつきまとう、近代精神を獲得することの代償かもしれない。日展に巣くう権力と戦うこの作家は見事である。正義は言う、「国家権力によって価値がある美術はない」
 現代の作家たちはどうであろうか。中村正義は写楽の研究者でもあったが、研究の秘書を務めた女性が言う、ある日友人と出かけて行った中村正義の後ろ姿は、「たえがたく存在しがたい後ろ姿だった。」と。孤独を通り越した、なんとも名状しがたい絶望的なものだったらしい。52歳で反骨の鬼才は生涯を閉じた。 

2013年1月3日木曜日

松本竣介


 『生誕100年 松本竣介展』
  2012年11月23日〜2013年1月14日世田谷美術館

 好きな作家だ。詩情あふれる画面だが、確固たる意志を示している。もちろん、戦争という時代が濃く影を落としていたからに違いない。
 松本竣介(1912〜1958)36年の短い人生。初期の頃は様々にスタイルが変化した。ルオーのようでもあり、人物などは時として藤田嗣治の描き方を思い起こさせるものもある。1937年『郊外』(96.6×130.3)などは、青•緑を中心にした作品。1940年『郊外風景』(73.0×91.0)では構図も自由になり、樹木の処理などが何か象徴的な感じに見える。太平洋戦争以前は、風景と人物が溶け合ったような画面であり、詩情あふれるそれはシャガールに似ていなくもない。しかし、戦争の時期は建築物が多くなり、黒く太い線で画面が区切られることが多くなる。人物は点景として、ポツンとそこに登場する。それは意志を持たない影のように孤独だ。
 今回、私はサインと年代が気になって仕方なかった。サインは活字のように緻密に書かれている。松本竣介の人間性を表しているようにも見えてる。そしてサインとともにそこに記されている制作年が気になる。1940年9月『街(自転車)』(73.0×91.0)には「15.9」とある。つまり、昭和15年9月制作ということである。ところが、同じ1940年2月の『黒い花』(92.0×65.0)には「××××」と記され、1940年9月『構図』(37.5×45.5)は「2600.9」とあり、1940年8月『都会』(121.0×154.5)には「2600.8」とある。1940年の作品に「15」とあるのは少なく、圧倒的に「2600」である。1940年の作品だけである。「2600」の数字は、紀元2600年のことである。皇紀2600年の行事が大々的に催された年である。「2600」と制作年を記すのは、時代精神が反映してのことであろうか。また『黒い花』の「××××」は、そう記すことへの逡巡があったのだろうか。この時代や、松本竣介の心を読み解く糸口としてなかなか興味深い。ちなみに、この年の9月27日に、日独伊三国同盟が締結され10月12日大政翼賛会が発会された。