Nちゃんも、Aちゃんも所詮「同じ穴の狢」という感多々である。A国の◯◯◯に参加すべきとのNちゃんから政権がかわり、Aちゃんは当初◯◯◯参加には意欲的ではない発言を繰り返していた。そのうち、「聖域なき」は考えないという発言になったのだが、わざわざ税金を使って、A国に行き「飛んで火にいる夏の虫」ということになった。というよりも、最初からこのシナリオは決まっていて、演出通りに芝居が運んでいるというほうが、真実を突いているだろう。やっぱりという思いがあり、またもや私の心を鬱にしてしまう。
すべてはA国のいいなり。昔からいいなりだったが、またまたいいなり。それにしても、わざわざ大きな旅客機に乗って、A国に行かなくたっていいのではないか、と思う。そんなに◯◯◯に参加させたいならば、向こうからお土産をいっぱい持ってくればいいではないか。結局呼びつけられたのか、と思ってしまう。R国からも、◯◯領土の件について、Aちゃんに訪問して欲しいと言っている。これも体のいい呼びつけか。
つらつら思う「絶対A国なんかの言うことを聞かないぞ!お前こそ帝国主義の悪人だ」という姿勢を貫いている、北◯◯国や、中◯や、中東の一部の人々のことを。A国の価値基準のみで判断していいものか。ダメなものはダメという態度は悪いことではないはず。A国の言葉が、実質世界の共通語になったように、すべてのものをA国化してはならないと思う。