2014年3月21日金曜日

描画漫録

 わたしは、永らく青を禁じていた。なぜなら青はあまりに自分に近い色だったからだ。青に自分自身が溺れてしまうように思えた。わたしのメランコリーが、アンニュイが、わたし自身を青に近づけたのだろうか。あるいは、青がわたしに近づいてきたのか。青はわたしの内面に深く入りこんでいる。わたしのなかの青を解放し始めたのはいつのころからだっただろうか、行きつ戻りつしながら青が画面全体を覆うようになった。
 青は、青という色であるが、わたしにとってそれは多数ある色のひとつではない。

2014年3月2日日曜日

父の秘密 ~AFTER LUCIA~

 監督:脚本/マイケル•フランコ          メキシコ 2012年


  原題はAFTER LUCIA.「ルシアの後」いや、「聖ルチア亡き後」と理解した方がいいのかもしれない。邦題の「父の秘密」というのは、やはり理解しがたい。
 男の妻、娘の母であるルシアを交通事故で失った、夫と娘のその後の状況を描いた物語である。母は娘のおこした事故で命をなくした。それを犠牲というならば、そのことを殉教者聖ルチアと重ねることができる。犠牲というのは生きる人間にとっては極めて辛い。前に進むためには、やはりそのことを忘れて、あるいは物語を組み直して、新たに踏み出さなければならない。
 しかし、父親の選択は新たな地獄であった。娘は転校先の学校でいじめにあう。彼女はその不条理な状況に抗うことなく、ただひたすら耐え抜く。そしてラストシーンの父親の報復。その報復にたいして、邦題「父の秘密」がつけられたのだ思うが、この作品のテーマはそれにあるのではない。この親子は、とにかくなす術もなく耐える。ただ耐えている。この「耐える」ということになにかしら意味があるのだろうか。この現実世界、あるいは現象世界は、不条理に満ちている。善はいつでも善でありつづけることはできなく、悪はいつまでも悪であるわけではない。「神の愛」とはなんだろう。「慈愛」が真のものならば、この世界は理屈に合わない。そこで生きる人間の理解の仕方として、「修行としての苦しみをあたえたもう、神」が存在する。あるいは処世の方便として意識に内在させる。ということになるのかもしれない。
 父ロベルト(ヘルナン•メンドーサ)も娘アレハンドラ(テッサ•イア)も自分が置かれた状況を、だれに話すでもなくただそれを受け入れている。口が重い?どうだろう、その表情はどこか修道士のような無表情を感じる。見る者は、こうすればいい、ああすればいい、という気持ちが起こって来る。でもスクリーンの中の親子は、会話もなく、ただこの世に身を処しているようにしか見えない。ルシアが生きていたころには、光があった。しかし、いまはもうその光は失われた。娘は、その世界にもどろうとする。父にひとことも言わずに、ルシアのいない元の家に行くため、バスに乗り込んでしまう。父親はいじめの首謀者を自らの手で処刑する。最後にみせるロベルトの表情は、最後のジーザスのような表情だった。ロングショットで語るこの作品は、奥深い。

                         (2013•11•9 ユーロスペース)
 

気まぐれ野郎メシ ーリングイネー

 リングイネを使ってみたいとずっと思っていた。ただ、このリングイネなるものが、そんじょそこらの店では売っていないのだ。まあいつかどこかの専門店などにあるだろうと思い、探すような探さないような、結果「まあ、どこかで見かけるだろう」という気持ちになっていた。
 「リングイネ」ロングパスタの一種、使ったことがない。そのリングイネという名称がなんとも素敵に聞こえる。理由はそれだけ、それだけで試してみたいと思っただけ。
 先日ワイングラスを磨き上げていたとき、思わず力が入り過ぎて割ってしまった。その補充にと思い、出かけたついでに日本橋三越に置いてある安価なグラスをもとめようと、立ち寄った。なんと、リングイネがあるではないか。早速購入してためしてみた。
 なかなかいい。やはり、ソースがうまく絡んでくれる。いつもはスパゲティーに粉チーズをふりかけて強引に絡ませようとしていたのだが、そんな必要もなく、見事に調和する。おまけに食感もモチモチしていい。

 リングイネ、また使ってみよう!