2012年5月20日日曜日

描画漫録 4(パリ個展Galerie SATELLITE 2)

  パリの個展の様子です。題名は、すべて「UTUROHI」「UTAKATA」です。
 「UTUROHI」は古語であり、記述すると、「うつろひ」となり、「ひ」は歴史的仮名遣いとなります。したがって、現代日本語で発音するときには「うつろい」です。ロマン語であるフランス語やイタリア語では「H」のアルファベは無音なので、現地では「UTUROI」と読むのかも知れません。歴史的仮名遣いを現代仮名遣いで読むのと同じになります。そんなことを面白がっています。「UTAKATA」はいかにも母音だらけで、日本語らしい音です。思えば私の名「HANADA」も、やっかいです。「A」が、三つもあります。「アナダ」と発音されるのは、すこし抵抗があります。やはりファーストネーム「SHIN」がいいのでしょうか。


小さな作品の組み合わせです。昨年からこのような作品を制作しています。下の方を少しずらしています。「ずらす」とか「ずれる」という事象が気になっています。「ZURE」ということが、キーワードとなることが、この世界にはたくさんあると考えています。 

ギャラリーからの風景です。ギャラリーは「フランソワ•ド•ヌフシャトー」という通りに面しています。通りの名前は、人物名です。この人がどんな人かはわかりません。検索してみると、フランスの貴族/政治家(ニコラ•フランソワ•ド•ヌフシャトー)という人でしょうか?あっ、左にワインのボックスが映ってしまいました。フランスはワインの国です。


ギャラリーの目の前に大きな建物があります。なにかしら重々しい感じのする建物です。体育館施設として利用されたり、イベント施設として利用されているようです。しかし、ここは歴史的な場所でもあります。建物にこのような案内版が掲げられていました。なんと書いてあるのでしょうか。辞書を引き引きして調べました。
「たくさんの子供たちや大人たちがここ11区に集められた。1941年8月20日、1942年7月16日。その夏の日、アウシュビッツにユダヤ教徒であることを白状するために送られた。」というような内容だと思います。このように、きちんと負の遺産を説明していることに、フランスの良心を感じます。この重々しい建物と、わたしの作品がどのように対峙しているのか、作品は空間の中で存在しているので、道を隔てたこの建物と相対的な関係も出てくると思います。そのうえで、私の作品の存在意味は何なのだろうと考えていました。






通りから見たギャラリーです。


  Galerie SATELLITE 2























2012年5月12日土曜日

描画漫録 3


パリでの個展が終了。4月17日に渡仏し、会期途中であったが26日に帰国した。ヨーロッパもパリも初めてのこと。観光旅行の経験もない。この歳になり、いい体験をさせてもらった。無、移ろい、瞬間の現象、虚と実の狭間、などが私の創作テーマとなっているが、それをヨーロッパの人に受け入れられるのだろうかという不安はあった。しかし、そんなことは杞憂にすぎないのだとすぐに理解した。空間として見てくれるような気がした。
課題はたくさんみつかった。むかし藍画廊やモリスや山口で展示した方法論を、いまもう一度再考する必要があるようだ。
パリの街で人類のことを考えていた。そして、この圧倒的芸術の数々は何だろうと思った。もちろん歴史的な権力と財力と武力によって集められたものだろうが、芸術にとてつもない価値を見いだしていたからこそである。翻って、日本の美術が海外に流失したことも考えてみると、なんとも悲しい想いにとらわれる。