2014年8月24日日曜日

気まぐれ野郎メシ(野菜ひき肉あんかけ)


 さて、野菜を炒めて、その上にひき肉のあんかけをしただけのもの。冷蔵庫に野菜があり、どうしたものかとすこしばかり思案した。

 レンコン 1個  茄子数本  玉葱1個  ピーマン 2個  

 最初にレンコンを。その後ビーマン、茄子、玉葱の順で炒める。お皿に移して、ひき肉を炒めて水溶き片栗粉であんを作り、そのままお皿の野菜にかけただけ。ひき肉は沖縄そばの出汁と、鶏ガラスープのもとで味付け。いつもながらにいい加減な感じだ。

2014年8月20日水曜日

『泥酔懺悔』

 以前紹介した『泥酔懺悔』(筑摩書房)という単行本。
まあ、全員が全員泥酔しているわけではない。飲めない人の話も掲載されていた。しかし、私は何と言っても「泥酔」してしまった女性たちの話がとても面白く、興味深い。「酔って泣いて笑ってセックスしまくって傷つい」た学生時代の瀧波ユカリ。駅前のロータリーで泥酔の果てに意識を失い、救急車で運ばれた平松洋子。バーにひとりで入ってギムレットを飲むことを高らかに宣言している山崎ナオコーラ。下半身裸のままトイレの床にとぐろを巻いて倒れている三浦しをん。飲みだしたら途中でやめることができず、失敗ばかりしている角田光代。なんとも面白く豪傑な女性ばかりだろうか。日本はまだまだ大丈夫だ。

2014年8月8日金曜日

M.花田の優雅な日々(ヒトリ酒のススメ)

 さて、少しでも楽しい事をしていなければ••••?先日、知り合いの個展に出かけた。場所は神楽坂。Mさんの個展はいつもその画廊で行われる。坂の下にあるそのギャラリーは黒塗りの櫺子風の建物であり、いかにも神楽坂という印象を醸し出している。小さなスペースにたくさんの木工作品が置かれている。居酒屋にしてもいい感じの場所だ。
 当日わたしにはもうひとつの目論みがあった。ちょつと気になる居酒屋がある。早々に画廊を後にして、徒歩五分ばかりのところにある民家風の居酒屋に入った。まあ風というよりも、民家そのものだ。玄関先の土間は、立ち飲みの場所であり、座敷より少しばかり値段が安い。生ビールが400円で座敷よりも100円安い。クーラーはついていなく、扇風機が回っている。まずはビールだ。おつまみは「鯖のへしこ」、なんか通になった感じだ。カウンターの前に。お酒や料理に関する文庫本やら新刊書やらが無造作に立ててある。いきなりある本に目が止まった。「泥酔懺悔」という赤いカバーの本。めくってみると、11人の女性たちのエッセイだ。角田光代•室井滋•三浦しをん•山崎ナオコーラなどなど、なんだか面白そうだ。その後、福井県のお酒「黒龍」をたのみ、「うずらの唐揚げ」を注文した。うずらは卵だとばかり思っていたら、鳥のほうのうずらの唐揚げだった。当たり前か。生ビール一杯に冷や酒を一杯。帰りがけに本屋に寄って「泥酔懺悔」(筑摩書房)を購入した。
                         【8月4日夕暮れ時の神楽坂】

2014年8月3日日曜日

描画漫録ー題名の秘密(2014個展にさいして)

  

 まず、作品をつくりはじめたとき、『UNTITLED』や『WORK』という題名にした。20年前のことである。作品から物語性をなくすためのひとつの方法であった。文学的表現ならば文章で表現すべきであり、現代美術は視覚表現であり、他の要素を持ち込むべきではないと考えたからである。もちろんこの考えは現在でも継続して私の考えの根底にある。
 しかし、人々は題名を手がかりにして作品を読み取ろうとする。題名がないと不安になると言われたこともある。そんなこともあり、少しずつ私の軌道修正ははじまったように思う。
 その後『UTAKATA』や『UTUROHI』という言葉が作品の題名になった。これにその年を入れ、ナンバーを入れて題名が完成する。例えば、『UTAKATA 2014.5』というように。2014年の通し番号5の作品という意味である。では、この『UTAKATA』とは何か。日本語で発音すると、「うたかた」となる。発音された瞬間、日本語を母国語とする人にとって、意味が明らかになるはずだ。漢字で表記すると「泡沫」となる。森鴎外の「うたかたの記」や鴨長明の「方丈記」が思い起こされると思う。「よどみにうかぶ、うたかたは、かつきえかつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし」という表現。「まさにこの世のありようは、ほんの一瞬の現象にしか過ぎないのではないだろうか」私はことあるごとにそのような考えにとらわれる。『UTAKATA』は意味のとりやすい日本語表記ではなく、あえてローマ字表記にした。ゆっくりと発音して欲しいと思ったからである。U•T A•K A•T A と口からでた音をゆっくりと心に入れて欲しい。言葉の真の意味はゆっくりと言うことによってはっきりとしてくると思うからである。はじめてその言葉を発する者のように。
                      

 「UTAKATA」が続き、その後あらたに「UTUROHI」という語も使うようになった。意味としては「うつろい」なのだが、発音すると「うつろひ」となる。まるで歴史的仮名遣いだ。ところが、フランス語のH(アッシュ)やイタリア語のH(アッカ)など、ボルトガル語やスペイン語などを含む、所謂ロマンス語では「H」は発音しない。ということは「うつろい」となるのだろうか。そんなことを考えるとなんだか興味がつきない。
 「UTAKATA」も「UTUROHI」もせかいの儚さや脆さや仮の世のことを意味する。私の思考のなかでは、「世界は畢竟ほろびゆくものの一過程の姿」である。
                    

 個展会場のOギャラリー入り口の右の壁は、「UTAKATA 2014  四」という作品群である。「四」と は、数値の4ではなく、四方などというもののようなある絶対的な存在を意味する。具体的には、「東西南北」という「世界」そのものを表す。





奥に向かって右は「UTAKATA 2014 崑」という。 




 「崑」は、「崑崙山」という概念を表す。崑崙山とは、中国の西部中央アジアに位置する大山脈である。そしてここは古の伝説の場所であり、仙界であると言われる。八仙が住む場所であると伝えられている。「崑」は「混沌」とつながり、「カオス」を示すとも言われる。「混」は左の作品「UTAKA 214 混」である。
 そして、奥の三つの作品は「UTAKATA 2014  「途」である。「途」は「みちすじ」「道理」「教え」などの意味ががあるが、「三途」の暗喩である。その地にたどり着くのは、けして不幸なことではなく、誰でもがいったんはたどり着かなければならない地である。それは祝祭である式日なのである。







 




L字型の空間の奥「式日」の場所は、辰巳の方角にあたる。辰巳は吉方である。

 



もうひとつ、こんな壁面がある。





立てかけた作品5枚。5であるのに「−4」という作品群。1枚のことか、あるいは−4ということが我々の存在のことか、個としての存在の意味を問う。



以上のようなことば遊びが、この個展のなかに隠されている。
                      2014年8月3日 8:10am