2017年10月16日月曜日

『PATERSON』


 『PATERSON』             2016年 アメリカ
                     監督ジム・ジャームッシュ
                     
                     アダム・ドライバー
                     ゴルシフテ・ファラハニ
                     永瀬正敏

 米国ニュージャージー州にパターソンという市があるらしい。ニューヨーク州のとなりなので、東海岸にそれほど遠くないところにある。パターソン市でバスの運転手をしているパターソンという男性が主人公。普通の庶民であり、毎日毎日バスの運転をしてる。小津安二郎の作品世界に登場しそうなパターソンは、毎日を規則正しく送ることを旨としている。ノートに詩を書き続けているが、それを発表しようとかの名声欲はない。妻から勧められても心がゆれることはない。ただただ生活のために働き、楽しみとして詩作をすることで満足している。ただ、ところところで不思議な人物が登場する。双子のおじさん、双子の姉妹、など双子がチラッと出てくる。これはなにかの象徴なのだろうか、最後に日本から来た勤め人の詩人がでてくる。ふたりは初めて会ったのだが、違いの心が通じているような感じである。ツインソウルと言えば通俗に傾きすぎだろうか。
 静かで示唆に富む作品であった。

愛を綴る女


  『愛を綴る女』           2016年フランス
                    監督ニコール・ガルシア
                    原作『祖母の手帖』ミレーナ・アグス
                    
                    マリオン・コティアール
                    アレックス・ブレンデミュール
                    ルイ・ガレル

 原題『MAL  DE  PIERRES』  邦題がなんとも意訳しすぎの感がある。「石の痛み」と訳すといいのかもしれない。映画ライターの久保玲子が ”石の痛み”という言葉を使っているので、この「石の痛み」という邦題にしたらどうだろうかと思う。
 南仏プロバンスから親子三人がリオンにやってきた。息子がピアノのコンクールに出場するのだ。車中の三人は家庭円満な印象を受ける。ところが、いざ会場に向かう途中に妻のガブリエル(マリオン・コティアール)はタクシーから一人降りてしまう。彼女はこの通りの名前に反応したのだ。走る彼女はのっぴきならない様子だ。そして、あるアパルトメントにたどり着き、そこにある住居者の表札を見つめる。それはアンドレ・ソヴァージュという男性の名前だった。
 物語は過去に遡る。愛に対して情熱的な少女だったガブリエルは、周りから偏見の目で見られていた。母親は、なんとかしなければならないと思い、労働者のジョゼと結婚させる。しかし、ガブリエルは、ジョゼに「愛していない、絶対に愛さない」と告げるのだった。最初から愛のない関係が続く。彼女の病気、療養所で出会った軍人ルイ、チャイコフスキーの「四季6月舟歌」がつづれ織りの糸のように絡み合う。深い谷に下りて行くように、ひたひたと迫る冷気のような感情。この作品はよくある倫理観で観てはならない。人の心のありようを静かに受け止めてこそ、理解できる。ラスト、静かな感動がさざ波のように押し寄せる。成熟したフランスの情の物語だ。
 ガブリエル役のマリオンは横顔に強い意志が表現されて卓偉。デカダンのようなアレックスも、哲人のようなルイもいい。
 

2017年10月15日日曜日

鳥のことは何も書いていない。


 こんな新聞記事を見つけた。2017年10月13日の「東京新聞夕刊」である。ドローンが鳥とぶつかり墜落したようだ。この記事には「鳥」のことは一切書かれていない。この鳥はどうなったのだろう。「けが人はいなかった」かもしれないが、「けが鳥」はいたのかなかったのか。これからの産業に対して「ドローン」は有効なのかもしれないが、(デュアルユースだと思うが)もしこのような事故が頻繁におこると命ある鳥はどうなんだ。こんなことを言うと、過激で過剰な動物愛護者とレッテルを貼られてしまうかもしれないが、これは意外と大きな問題である。空港のバードストライクはあるが、それに対してバードパトロールなどの対策はしている。そもそもが人命のためであるが、鳥の命も結果として救うことにはなる。
 そもそも飛んでいる鳥が何かにぶつかるということは、どれくらいの確率なのだろう。本能や能力は、そんなヤワなものではないだろう。普段目にする鳥たちの素早さには驚くことがある。小型のドローンだからであろうか、なんだかわからないことが多すぎる。

ERNEST


                   脚本・監督:阪本順治
                   2017/日本・キューバ合作
                   オダギリ・ジョー
 

 ゲバラ没後50年、そしてこの作品の主人公フレディー前村ウルタードも没後50年。1967年ともにボリビアで命絶えた。
 フレディーはボリビア出身の医学生だった。人々のために、それも貧しい人々のために医学を志した。奨学金を得てキューバで学業を続けていたが、祖国が軍事政権となり、志し半ばで戦いを決意する。ゲバラから「エルネスト」という名をもらい祖国のためボリビア政府と戦った。
 1967年わたしは、12歳だった。66年から67年、ロックシーンでは英国の「ビートルズ」が、米国の「ヴェルヴェット・アンダーグランド」が活躍していた。66年ボブ・ディランがバイク事故で活動休止し、67年に復活した。66年6月ビートルズが来日し、67年10月ツイギーが来日した。欧米のサブカルチャーが大きく変革して行った時代でもあった。68年には「パリ五月革命」が起こった。67年8月31日、フレディーは政府軍により射殺された、享年25歳。ゲバラも政府軍に捕まり、10月9日射殺された、享年39歳。
 監督の阪本は、キューバに滞在し撮影を続けていたとき、キューバ人の心の優しさに触れ「キューバはいい国だと思った」とラジオ番組で語っていた。

 この作品に対して、あまり解説めいたことはしたくない。戦わなければいけないと、いま痛切にわたしは思うからだ。政治権力闘争を繰り広げている人々が対象だ。武器を持つことはできない。ではどのような戦いをすればいいのか、大きな課題である。