2013年8月25日日曜日

楽園からの旅人 -il villa di cartone-

 監督:エルマン•オルミ           2011 イタリア

 原題は「il  villa di cartone 」厚紙の村という意味だろうか。アフリカから逃れて来た人々と、取り壊されようとしている教会の話である。楽園から誰が来たというのだろうか。
 この教会で長年つとめてきた司祭(マイケル•ロンズデール)は、取り壊される教会を守れなかったことに苦悩している。いとも簡単にキリストは像は撤去させられ、明日にも教会は崩されようとしているのだ。そのような折、アフリカから逃れて来た移民が一夜を過ごすためこの教会に身を寄せて来る。最近のイタリア映画に、アフリカからの移民を題材にとったものがよく公開されている。この作品もまたそのひとつである。しかし、この作品の特徴は、その移民たちが、身も心もボロボロになってやってくるわけではない。彼らの表情を見ると、それぞれに強い意志が感じられる。どこか崇高な感じすら受ける。この教会を取り壊そうとする者たち、あるいはその社会に対して、何かしらの啓示でも与えるような印象がある。そのような見方をすると、「厚紙の村」という言葉の意味が明らかになってくる。

2013年8月24日土曜日

ノーコメントbyゲンズブール

 監督:ピエール•アンリ•サルファティ        2011 フランス

 セルジュ•ゲンズブールを追うドキュメンタリー。本名ルシアン•ギンズブルグ、ロシア系ユダヤ人。火のついたタバコを片手に、ステージで歌ったり、恋人とふざけ合ったり。 フィルムの中のゲンズブールは、すべてを煙に巻いているようだ。断片的な言葉が彼の口からこぼれ落ちる。そもそも、そんなに饒舌ではない。なによりもしゃべることが優先されるような、西欧的価値が、そこからは見いだせない。その断片的な言葉が魅力的だ。まるで古い図書館の日の光から見放された暗い片隅に、ひっそりと置かれた革装の本を開いたような言葉。アフォリズム。ゲンズブールのレベルまで行かなければ、理解できない。「どうだ、こここまで来てみろ」と言っているように思える。
 おそらく彼ほど、古のパリの空気を感じさせる人物はいないのではないか、と思わせる。いい意味でも悪い意味でも生粋のパリジャンなのだ。気怠い空気が満ちる路地裏の詩人なのだ。魅力的なアンニュイだ。ますます惹きつけられてゆく。
 ゲンズブールは、いまなお人気がある。彼のお墓には、紙巻きタバコや花束や真っ赤な
KISSの跡でいっぱいだ。


                                                 2012    PARIS14区 モンパルナス墓地 photo  S,Hanada

2013年8月11日日曜日

2013個展

 8月11日本日個展終了日。日本全国が猛暑のただなか、都心で37度を記録しているということは、おそらく銀座周辺の気温はもっと高いだろう。歩くだけでも堪えられないので、こんなときに美術展というのもやはり考えてしまうだろう。仕事の都合でどうしてもこの時期になってしまう。少し考えてみようかしらん。三月ぐらいとか。
 表現とは?自己の存在とは?この世の中での永遠のデラシネ。私の作品は作品であって作品ではない。自分を見つめる鏡のようなものである。そして人間や世界へのひとつの視点の提示である。「虚実皮膜」の向こうに透けて見えるもの。それはいったい何なのだろう。(呵々)

2013年8月2日金曜日

気まぐれ、野郎メシ(古くなりかけたキュウリをつかいこなせ!)


 気がつくと、冷蔵庫の中で「キュウリがヤバイ!」こんなことは日常茶飯ではないだろうか。新鮮なものならば、どうにだって使える。
 そこで、どうすればいいのか。答えは簡単。「焼いてしまおう」ということ。
1、は乱切りにして、沖縄ペンギン食堂の『石垣島のラー油』を使ってフライパンで焼い たもの。味が不安だったので、塩少々など。味が濃いのでトマトと合わせた。
2、は生姜と塩胡椒醤油で焼いた。
3、はそのまま『石垣島のラー油』のみで焼いた。

反省:2が成功。1はまあまあ。3はもう少し工夫が必要。ラー油は、たまたま手元あった貴重なもの。最近は手に入りやすいかも。以前は石垣島でも一人二個しか売ってくれなかった。古くなったものを強引にねじ伏せようとしただけかもしれない。