2019年1月2日水曜日

2019年1月2月金星と月




 金星と月の接近。地球も宇宙のなかの一部。遥かな宇宙には視点があるのだろうか、子供の頃からそんなことを考えては眠れない夜を過ごしていた。我々の愚行はいったいいつまで続くのだろう。『百年の愚行』という写真集が手元にある。改めてパラパラ捲ってみる。誰かが何かをしてくれるのではなく、我々ひとりひとりの問題のような気がしてならない。

2019年1月1日火曜日

世界で一番ゴッホを描いた男


 『世界で一番ゴッホえを描いた男』
                 監督:ユイ・ハイボー、キキ・テェンチー・ユイ
                 2016年  中国/オランダ




 10月に上映だったが、見のがしていた作品。吉祥寺の「ココマルシアター」で上映というので、出かけた。いままでの予告編でだいたいイメージはできていたのだが、やはり実際に見なければわからないことが多々有る。さまざまな社会的問題が浮き彫りにされた作品だった。そして、ところどころ涙を禁じ得ない作品でもあった。それにしても何も知らないことに気づかされた。「複製画」とはなにか。このことすらもよくわかっていなかった。いままで知る機会も必要性もなかったのだ。
 「オリジナル複製画」本作品にこの言葉が頻繁に出てくるが、贋作ではない。贋作は犯罪である。写真でもなく、写真を使った複製画でもない。油絵の具を使って、実物の複製を製作するのだ。複製だからもちろん本物ではない。しかし、模写でもない。模写は実際の作品を手本にして、画家が技術習得のために行うエチュードであるので、これは商売ではない。名画の複製を手書きで、大量生産し、商品として流通させる。つまりそれぞれは一点物だということになる。商品として商売として成り立つので、この業界があるのだ。
 深圳市というところに、複製画を専門とする工房が軒を競っている。深圳市とはどんなところだろうか、たしかにかつて中国政府が方向転換するなかで、経済特区深圳という言葉をニュース等で耳にしたことがある。調べてみると、いま中国経済の需要な地点として脚光を浴びている。IT業界等々で深圳が急成長している。巨大企業Huawei(ハーウェイ)もここにある。早晩上海を追い抜くだろうとまで言われている。主人公の超小勇は、ここで複製画を作成している。深圳市の大芬は油画村とまで言われ、世界市場6割だという。工房に寝泊まりする職人たちはみな床にごろ寝であり、エアコンなどがない。ここだけをみると貧しい中国という印象を受けてしまうのだが、ちょっと街にでると、巨大なビルが並び、スケールがばかでかい。富をほしいままにしている人々と消費を享受している人々と隣り合わせに、この職人たちが生活している。そんな多重構造が透けて見える。
 超小勇は田舎から出てきて20年、この地で複製画を描くことによって生計を立てている。とにかく時間をかけず名画の複製を完成させること。これが職人としての絶対的な条件のようだ。そして彼の描く作品はゴッホである。来る日も来る日もゴッホの複製を描き続ける日々であった。そして何より彼はゴッホを尊敬してやまない。いつの日にかゴッホの本当の作品を見たいという思いが募ってゆく。
 彼には娘がいる。その子は高校で学んでいるが、深圳にある高校ではない。深圳の高校には進学する資格がないのだ。深圳に進学できる子は都市戸籍を持っている子しか許されない。超小勇は地方の出身である。つまり、農村戸籍の人間であり、家族も同様である。農村戸籍の子は都市の学校には行けず、地方の学校に進学するしかない。娘は嘆く、地方の言葉がわからないから、授業についていくことができない。このままでは大学にはゆくことができない。生活者の実情が見えてくる。
 そんなこんなで、超小勇は仲間数人とオランダへ行く。妻に旅費の心配をされるが、情熱が突き動かされる。彼はここで否応無く現実を突きつけられ、苦悩する。まずはゴッホの凄さを知り、自分のいままでの仕事を完全否定されたように感じる。また、自分が描いた複製画が10倍近くの値段で取引され、それもお土産屋で販売されていた。彼は、そこそこ高級な画廊で扱われていると思っていたのだ。

 職人超小勇は真摯で真面目な人物である。それが故悩み苦しむ。彼は職人であるのだが、表現者としての気持ちもある。現代中国の社会情勢や、システムがこの作品で剥き出しにされている。苦しむのは生活者である。矛盾を感じ憤るが、彼はひとつの小さな目標を見つける。表現者の根元の部分に気づくのだった。