2013年1月3日木曜日

松本竣介


 『生誕100年 松本竣介展』
  2012年11月23日〜2013年1月14日世田谷美術館

 好きな作家だ。詩情あふれる画面だが、確固たる意志を示している。もちろん、戦争という時代が濃く影を落としていたからに違いない。
 松本竣介(1912〜1958)36年の短い人生。初期の頃は様々にスタイルが変化した。ルオーのようでもあり、人物などは時として藤田嗣治の描き方を思い起こさせるものもある。1937年『郊外』(96.6×130.3)などは、青•緑を中心にした作品。1940年『郊外風景』(73.0×91.0)では構図も自由になり、樹木の処理などが何か象徴的な感じに見える。太平洋戦争以前は、風景と人物が溶け合ったような画面であり、詩情あふれるそれはシャガールに似ていなくもない。しかし、戦争の時期は建築物が多くなり、黒く太い線で画面が区切られることが多くなる。人物は点景として、ポツンとそこに登場する。それは意志を持たない影のように孤独だ。
 今回、私はサインと年代が気になって仕方なかった。サインは活字のように緻密に書かれている。松本竣介の人間性を表しているようにも見えてる。そしてサインとともにそこに記されている制作年が気になる。1940年9月『街(自転車)』(73.0×91.0)には「15.9」とある。つまり、昭和15年9月制作ということである。ところが、同じ1940年2月の『黒い花』(92.0×65.0)には「××××」と記され、1940年9月『構図』(37.5×45.5)は「2600.9」とあり、1940年8月『都会』(121.0×154.5)には「2600.8」とある。1940年の作品に「15」とあるのは少なく、圧倒的に「2600」である。1940年の作品だけである。「2600」の数字は、紀元2600年のことである。皇紀2600年の行事が大々的に催された年である。「2600」と制作年を記すのは、時代精神が反映してのことであろうか。また『黒い花』の「××××」は、そう記すことへの逡巡があったのだろうか。この時代や、松本竣介の心を読み解く糸口としてなかなか興味深い。ちなみに、この年の9月27日に、日独伊三国同盟が締結され10月12日大政翼賛会が発会された。