2013年12月30日月曜日

キューティー&ボクサー

 監督:ザッカリー•ハイザーリング       2013:アメリカ

 現代美術家・篠原有司男、乃り子のドキュメンタリーだ。篠原有司男の名をはじめて聞いたのは、1975年のころであっただろうか。とるものもとりあえず上京し、無謀にも美術の世界をめざしていた私には、前衛芸術などというものは、まるで知ってはいけない麻薬のような危ない匂いに満ち満ちていた。ゴッホやモネなどが20歳前後の私の美術認識にとって現在形であったのだが、いきなり精神の開国をしなければならない状態に追い込まれていた。もちろん前衛なのだから無視してもよかったのだが、その怪しい匂いに強烈に惹かれて行ったのも確かであった。その圧倒的パワーの美術状況の中に、篠原有司男がいた。反芸術を標榜し「ネオダダイズムオルガナイザー」という集団を組織し、絵画などとは遥かに遠い地平にいた。やがて、渡米した篠原の取材記事を、たしかアサヒグラフだったと思うが、目にしたことがあった。ニューヨークのソーホー地区に立つ彼の姿は、どことなく野獣を思わせた。血も凍る危険なニューヨークで自分は戦いを挑む、というようなコメントがあり、孤独な兵士のようであった。ダンボールでクレイジーなバイクの立体を創ったり、ボクシングペインティングをしたり、自分にはない憧れのクレイジーボーイだった。
 その後だいぶ時が経ち、どこかの誰かがダンボールで作品を作り出したとき、にわかにダンボールということで注目を集めたことがあった。が、そんなことはもう遥か以前に篠原がやっていることじゃないか、と日本の美術界の見識のなさにいささかうんざりしたが、今ではその誰かはアカデミックな◯◯大学で教鞭をとっている。
 ときどき帰国し、展覧会をしたりしていたが、その大きな声と態度で、篠原がいるとすぐわかる。画廊の前の通りにいても、すぐ篠原のそれと知れた。そんな篠原のドキュメンタリーが作られたと知り、少しばかり驚いた。いま篠原有司男なのか。これは見なければなるまい。この破天荒な80歳にはやはり圧倒させられる。そしてそばにいるもうひとりの芸術家。いい感じだ。よくもニューヨークでいままでやって来たものだ。生活はそんなに楽ではないことがうかがわれる。スーツケースに作品を詰め込み、日本に行って戻って来る。ポケットから3000ドルの紙幣をバサッととりだし、いささか自慢したりする様子はキュートだ。まるで行商から戻った感じだ。題名が「キューティー&ボクサー」だが、このふたりは、ともにボクサーでもあり、キュートでもあるのだ。
 この映像から大きな力をもらい、あらためて自分のアートに邁進しようと決意を新たにし、もうひとつ映画をみる予定だったので、渋谷東急の一階を歩いていたら、私の横をキューティー&ボクサーが通り過ぎた。おっ、今日も渋谷にお出ましなのか。しばしこの
お二人の後ろ姿を見送る私であった。