2014年2月18日火曜日

若者

 2月1日、新宿の「損保ジャパン東郷青児美術館」で開催されている美術展「クインテッドー五つ星の作家たち」(児玉靖枝•川田祐子•金田実生•森川美紀•浅見貴子)の企画展を見ようと思い、新宿東から西に向けて歩いていた。交差点にさしかかったとき、ちょうどデモ隊が横切るところであった。新宿だから大久保も近い、ということが一瞬頭をよぎり、またヘイトスピーチでもしているのだろうかと、いささか不快感を抱きながら赤信号を眺めていた。
 しかし、私の目に飛び込んだものは、「特定秘密保護法に反対する学生デモ」という文字であった。デモを組織していたのは、学生だった。それも秘密保護法反対の若者たちだった。歩道で女子学生がビラを配っていたので一枚もらう。デモを先導するトラックの荷台にはスピーカーが設置され、ラッパーが叫んでいた。
 「I say 国民 You say なめんな 国民なめんな 国民なめんな I say憲法 You say 守れ憲法守れ 憲法守れ」
 こんな若者たちがいるのだから、まだまだ大丈夫だ。と思ったと同時に、自分は何をしているのだろうかという、自戒の念に襲われた。

 損保ジャパンの美術館。金融資本主義社会の大企業だ。五人の女性たちの作品は、それぞれに落ち着きを見せていた。その落ち着きは何なのだろうかと思ったのだが、ひょっとすると、「評価された先にあるおとなしさ」という感じがした。忌憚のない意見を言えば、児玉靖枝にしたところで、枝を抽象的に描いていても、そこに枝という概念から解き放たれていない感じがし、鎖に繋がれているように思えてならなかった。(それにしても、最近「枝」をモチーフにすり作家が目立つ)かつての黄色の自由なストロークのような作品の力強さがない。もちろん作家の意図するものがあるのだろうと思うが。「求道の先に見える境地」ではない。まだまだ毅然として戦わなければならない、人たちだ。もちろんその戦いには気炎を吐いたり、毒をまき散らしたするような奇抜さは必要がないのだが。