駄々州狐通信
2022年8月4日木曜日
ミャンマー当局に拘束された映像作家久保田徹さんの即時解放を求め、 国軍による市民への弾圧に抗議する緊急声明
2021年10月1日金曜日
さいとうたかを訃報に触れる各紙のコラム
劇画家「さいとうたかを」が亡くなった。10月1日各紙のコラムがそのことに触れている。7社を確認したのだが、それぞれどんな紹介をしていたのか興味が湧いた。
小社会:高知新聞 2021年10月1日
劇画の時代 <BR> <BR> 昔から通っている高知市内の理髪店には、店の隅っこに本棚がある。背表紙を眺めると、あのおなじみのタイトルがまず目に飛び込んでくる。近所の中華料理屋さんに行っても同じシリーズの本が数十冊ずらりと並んでいる。 <BR> 超一流の腕を持つスナイパー(狙撃手)デューク東郷が、国際社会の裏側で活躍する漫画本「ゴルゴ13」。作者、さいとう・たかをさんの訃報に接した。 <BR> 今年7月にも、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」として、ギネス世界記録に認定されたばかり。ゴルゴは要人暗殺を請け負う暗い世界のヒーローだ。なぜ半世紀以上も愛され続けているのだろうか。 <BR> さいとうさんのゴルゴがデビューした1968年ごろは、既に先行していた少年漫画誌の読者が、青年・成年期に差し掛かっていた。漫画は「子どもが読むもの」から、大人の鑑賞に堪える文化へ脱皮する時期だった。 <BR> 「漫画で育った人たちは、大人になっても必ず漫画を読んでくれる。確信があった」とさいとうさんは語っている。時代の波に乗ったという前に、本人に時代をみる目があったのだろう。こうして劇画の時代は開かれた。 <BR> ゴルゴのタフで無口な外見は、俳優の高倉健さんからイメージを膨らませたとは作者の弁だ。ならば、ただ強いだけではなく、胸に秘める人間味もあろう。漫画誌連載はスタッフが継承するという。たぐいまれなキャラクターの今後を見守りたい。 <BR>
エッセイのような書き出しで、筆者の身の回りからはじめる。「ヒーロー」と言われると、どこか抵抗感があるが、現代史そのものを扱っているのが、魅力のひとつだと思う。高倉健のイメージだから「胸に秘める人間味・・」とあるが、「人間味」があったとしても、それが需要な展開となっているわけではない。基本は非情な狙撃者なのだ。筆者は何を言いたかったのだろうか。
北斗星:秋田魁新報 2021年10月1日
学生時代、下宿近くの定食屋に「しょうが焼き」と「にんにく焼き」があった。ともに豚肉を使ったメニューで、よく食べたのは値段が安い「にんにく」の方。ある日、少し味が違っていた。会計はいつもと同じ。店主から「しょうが焼きもうまいだろう」と声を掛けられた。 <BR> 漫画家さいとう・たかをさんの訃報に触れて、40年も前に定食屋で受けたサービスを思い起こした。店には雑誌や漫画本が置かれ、その中にあったのが「ゴルゴ13」シリーズ。1冊を読み切ってから席を立つのが常だった。 <BR> 謎に包まれた超人的スナイパー(狙撃手)が世界を飛び回る姿は、アクション映画を見るのにも似た迫力があった。東西冷戦をはじめ、変化する国際情勢をリアルに描いて人気を集めてきた。 <BR> 連載開始から半世紀余り。最新刊は202巻と世界最多の発行巻数を誇る。さいとうさんは分業制による漫画制作を提唱し、早くからプロダクションを設立。そのおかげもあって今後も連載が継続される。 <BR> 漫画好きで知られる麻生太郎財務相も愛読者。小泉内閣の総務相時代には大臣室に主人公の等身大イラストを飾ったとか。大臣が漫画で国際情勢を勉強するのでは少々心もとないが、幅広い読者層を示す逸話だろう。 <BR> さいとうさんの漫画の全原画約11万点は、横手市増田まんが美術館に所蔵されている。同館所蔵の原画約40万点に対し、突出した点数といえる。いずれ追悼展が開かれる機会があればぜひとも見に行きたいものだ。 <BR>
高知新聞と同じように、このコラムもエッセイ風にはじまる。しかし私は「しょうが焼き」と「にんにく焼き」とどっちが美味しいのか興味がある。店主は貧乏学生に奮発してしょうが焼きをだしたのだろうか。私が店主なら、「金はいらねえから食ってけ」と言うだろう。このコラムだとそのことが気になって仕方がない。あとは、まあウンチク。麻生太郎に言及しているところは気に入らない。どちらかというと、麻生はゴルゴによって狙撃される立場だろう。
余録:毎日新聞 2021年10月1日
中学時代、ワルを気取って試験の解答用紙を白紙で出した。「白紙は自由だが、名前だけは書きなさい。それが人間の責任だ」と諭してくれたのが東郷先生だった。その名を代表作に使った。暗殺を請け負うすご腕スナイパー「ゴルゴ13」の別名、デューク東郷である。 <BR> 84歳で亡くなった漫画家、さいとう・たかをさんのエピソード。「人間社会が約束事で成り立っていると気づかされた」と振り返っている。中学卒業後、理髪師をしながら貸本屋向け漫画家としてデビューし、「劇画」の草分け的存在になった。 <BR> 手塚治虫氏や石ノ森章太郎氏を感性で作品を生み出す「天才」と呼ぶ一方、「職人」を自称し、分業システムを取り入れた。現実の世界情勢を背景にした「ゴルゴ13」にその利点が生かされた。 <BR> 小説家や銀行マンを起用した脚本作り。精緻な武器や背景描写担当のスタッフ。専門家もうならせるリアリティーが半世紀を超える長期連載につながった。大銀行の合併劇を現実に先駆けて作品化し、頭取も読んだといわれた。 <BR> 外務省は岸田文雄外相時代、在外邦人の安全対策マニュアルに「ゴルゴ13」を起用した。河野太郎前外相は動画版の声優を務めた。麻生太郎財務相も熱心なファンの一人だ。 <BR> 単行本は200巻を超えてギネス世界記録更新中。本人もいつ終わるか1人では決められないと語っていた。連載継続が可能なのは分業制ゆえか。大変革の時代。日本マンガ隆盛の礎を築いた巨星亡き後も現実の先を行く作品を読みたい。
麻生太郎・岸田文雄・河野太郎などの政治家に言及する。総裁選と絡めているのか?冒頭部分は、麻生太郎がいいきになって若い記者たちにウンチクを垂れていた内容。毎日新聞ともあろうものが、何をか言わんや、という感じが否めなかった。
正平調:神戸新聞 2021年10月1日
せりふに「……」が多い。愛読者のみなさんにはおなじみだろう。漫画「ゴルゴ13」に登場する殺し屋、デューク東郷は極端に口数が少なく、めったに感情を表さない。「……」である。 <BR> 考えてみれば、殺し屋の「……」ほど恐ろしいものはないが、その胸の内は読者の自由な解釈に委ねられる。推理したファンからの手紙を読むのが、作者であるさいとう・たかをさんの楽しみでもあったそうだ。 <BR> 生みの親が世を去ったとの知らせを、デューク東郷はどこで聞いたか。いつものように表情を変えず、無言の「……」を貫きながら、きっと心の中では泣いているに違いない。84歳。さいとうさんが亡くなった。 <BR> 中学生のころ、雑誌に投稿した漫画が「子どもらしくない」と酷評された。「今に見ていろ」。その大人っぽい作風と完成度の高いストーリーで、漫画界に「劇画」という新ジャンルを確立した不屈の人である。 <BR> 今年7月、「ゴルゴ13」の単行本が単一漫画としてはギネス記録となる201巻を数え、ファンともども喜んでからまだ間がない。寂しさは募るが、故人の遺志を継いだ制作スタッフによって連載は続くという。 <BR> 「用件を聞こうか」。依頼人の無駄口を遮る名せりふは今後も健在だろう。ゴルゴ13は、不死身でござる。
「・・・」に注目している。他に「山形新聞」もそのことに触れている。饒舌な殺し屋はクールではないと思うので、総じて皆寡黙であろう。「仕置人」だって、アランドロンの「サムライ」だって口数がすくない人物だった。作者が亡くなり、「デューク東郷」が「心の中では泣いている」というのは、個人的な感傷すぎる。「不死身でござる」という言葉で締めるのは、筆者はさいとうたかをの真のファンではないからだろう。
談話室:山形新聞 2021年10月1日
台詞(せりふ)で沈黙を表す「…」がこれほど多用され、かつ似合う主人公もいまい。人気漫画「ゴルゴ13」のデューク東郷である。切れ長の目に鋭い光を宿す超一流の狙撃手(スナイパー)は余計な言葉は発せず仕事をこなす。 <BR> ギネス世界記録に認定されるほどの長寿作品だが、当初は今より口数が多かった。自分の感情をつぶやいたり、他人に意見したり。次第に無口になっていったのは「できるだけ距離を置いて描くよう気をつけた」ためだったと作者さいとう・たかをさんが自伝に書いている。 <BR> わが子同然の主人公を世間に受け入れられるように育てるには、溺愛してはいけない。突き放し、冷静に描かないと物語が行き詰まる。そんな自戒が、人としての弱さや複雑さなども持ち合わせた寡黙な主人公の内面に読者を引き込むことに成功したと言えるかもしれない。 <BR> さいとうさんが亡くなった。漫画家ちばてつやさんは「こわもてで気難しそうだが、誰よりも周りを思いやる、優しい紳士だった」と偲(しの)んだ。自伝には負の側面を持つヒーローを描く作者像を守るため自分を演じているとあった。妥協を許さぬプロの仕事ぶりを改めて思う。
主人公が我が子とか、作者が生みの親とかの表現は好きではない。作者の業績の凄さを語ってほしい。
卓上四季:北海道新聞 2021年10月1日
アウトローの理由 <BR> <BR> 素行不良な悪ガキのくせに理屈っぽい。大人にとっては扱いにくい子どもだった。体罰を受けた同級生がいれば、「悪いことだと分からせるのが教師だろう」とくってかかった。漫画家さいとう・たかをさんである。 <BR> 敗戦で価値観がひっくり返った少年時代。善悪すら、その時代の都合なのではないかと疑問を感じた。「その時代でしか通用しない善人は描けない」。登場人物にアウトローが多いのも得心がいく。 <BR> 隻眼の浪人、無用ノ介は剣はしょせん殺人の道具と言い、孤高のスナイパー、デューク東郷は足元のアリに気を配る。ささいなセリフやしぐさににじむ葛藤や逡巡(しゅんじゅん)。代表作「ゴルゴ13」が半世紀以上続くのも、そんな普遍性を求める思いがあるからだろう。 <BR> 家業の理容店を継ぎながら貸本漫画でデビューしたが作風が定まらない。そんな時、先輩漫画家の工藤一郎さんが「さいとうは漫画を描くために生まれてきたような男だ」と声をかけてくれた。 <BR> 大人も読める漫画を目指すさいとうさんの努力を見ていたのだ。「そんな見方もあるかと開き直れた」。劇画という分野を確立した道程には先達の導きもあった(「劇・男」リイド社)。 <BR> 晩年は漫画の隆盛を喜ぶ一方で、若手の勉強不足を気にかけていた。身辺雑記や安易な世界観では成長もないということであろう。未熟な者に、〝いつか〟は、決して訪れない。ゴルゴ13の言葉である。 <BR> <BR>
さいとうたかをの価値観について述べている部分がいい。
「敗戦で価値観がひっくり返った少年時代。善悪すら、その時代の都合なのではないかと疑問を感じた。「その時代でしか通用しない善人は描けない」。登場人物にアウトローが多いのも得心がいく。」
善とは何か、悪とは何か、すべては相対性の中に投げ出されている。そして「無用ノ介」について説明するところなどは、さいとうたかをの劇画通かと思える。「身辺雑記」や「安易な世界観」と言い放つ、筆者は何を考えているのだろうか興味がわく。文学の世界でもこれは言えるのではないだろうか。
もう1紙東京新聞もこのことについてのコラムだったが、ネットの「縦書きコラム」に掲載されなくなったので、ここで紹介できない(めんどう)。ただ、東京新聞はわたしが購読している新聞なので内容は読むことができた。東京新聞のそれは、さいとうたかをが挫折のなかでいかに頑張ったか、というちょっと教育的な内容で紹介していたので、私の好みではなかった。
さいとうたかをは、ボーイズライフの007の連載で知った。その雑誌では佐藤まさあきの「Zと呼ばれる男」も連載していた。さいとうと佐藤は同年代、さいとうたかをがひとつ年上。「007」「0011ナポレオンソロ」「無用ノ介」「捜し屋はげ鷹」などたくさんの作品があった。
2021年1月23日土曜日
ギリヤークさん
2020年11月3日火曜日
「谷津書庫」とは何か
2020年9月6日日曜日
Kさんからの残雪
残雪の『カッコウが鳴くあの一瞬』をKさんからいただいた。残雪(鄧小華)は中国現代作家である。表題を含む九つの短編集であるが、読む進めていると個人的には特段違和感を感じなかったものの、一般的に多数の読者を獲得する作家とは思えなかった。物語で読ませるものではなく、娯楽性があるわけでもない。ただ特定の読者にとっては、この作品の意味するところが痛切に理解することができるのかもしれない。そうでなければこれほどアバンギャルドに書き続けることはできないはずだ。そして、見逃してはならないことは作者の深層に深い闇が抱え込まれているかもしれないということだ。
私には、物語の範疇でこの作品を捉えることができない。ではどう捉えるのかというと、『詩』という言葉がうかびあがってくる。それは「物語を拒絶した叙事詩」ということだ。設定はたしかにあるが、ストーリーではなく、場面が唐突に出現する。例えば、スライド写真を映している感覚だ。プロジェクターがカシャリカシャリと定まった時間を刻みながら静止画像を映し出してゆく。現在のテクノロジーならば、静止画像であれ耳障りのいい音響とともに、フェイドイン等々ストレスを感じさせないデザイン性豊富な方法がいくらでも可能だ。しかし、私の感覚では残雪の小説は、そのようなテクノロジーよりも身体感覚に近いスライド写真なのだ。その感覚が心地よい。リバーサルフィルムが時を刻み、送られて行き、全てはフラットで等価なものとして目の前に並べられてしまうことにより、重苦しい場面は不思議に浄化される。この恐ろしいほどの企ては、作者自身としても、微塵も考えていないだろう。
語は文節を作り、文となり、段落を形成して、まとまりのある情報を伝える装置になる。しかし、そんなことにこだわらないところに詩そのものの存在がある。おそらくこの作品は、そのような意味や情報の定石にこだわらないで読んだ方がいい。
気になったところをあげてみたい。
「隣人はむこうの高塀の下で、あの穴を火かき棒でつついている。」
(『阿梅、ある太陽の日の愁い』)
「彼らが外でわめきちらしながら、ガラスをつぎつぎに割りまくっている音が聞
こえる。」 (『霧』)
「彼が大きなハンマーをふりかざし、その鏡に打ちかかっていくのが見えた。」
(『雄牛』)
「肺気腫にかかった者はみな、夜中によその家の戸をたたきたがるんだよ。」
(『カッコウが鳴くあの一瞬』)
「ガラス板の上の文鎮が壊された」
(『曠野のなか』)
「髪ふりみだして飛びこんできて、わたしの寝室をところかまわずひっかき
まわし、鏡や湯のみをたたき壊してしまう。」
(『刺繍靴および袁四ばあさんの苦悩』)
「ある人がある場所をひとりぼっちでさまよい、両手に握った小石を粉微塵に砕
いているのが。」
(『天国の対話』)
「深夜の寒風がひゅうひゅう吹くとき、ある扉を力いっぱいたたくと、」
(『素性の知れないふたり』)
「わたしは鶴橋を探してめちゃめちゃに振りおろし」
(『毒蛇を飼う者』)
これらのことが、とりたてて意味があるのかどうかは分からない。しかし、なぜか気になっている。残雪という現代作家を読んだのもはじめてであり、親和的読者でもないので、早急で無責任なことを言えないが、なにかありそうな気がしてならない。