2018年2月5日月曜日

ゴーギャン


『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』  

                      監督:エドゥアルド・デルック
                      2017年     フランス
 ゴーギャン役はヴァンサン・カッセル。後期印象派に位置し、ゴッホとの関係など知らない人はいないほどの画家。しかし、ゴッホと同様作品は売れなかった。若くして父、母を亡くしたものの、後に株式仲買人として成功し結婚して家族を持った。日曜画家として絵を描いていたが、株の暴落などがあり、ゴーギャンは絵の道に生活のすべてをつぎ込んで行く。思う、ゴーギャンの内面の世界を。彼の環境が彼を決定的にしたのではないだろうか。世界の有り様、とくに西欧文明社会に絶望していたのではないだろうか。人は宿命的に死を向かえ、経済はある瞬間に崩壊する。異なる世界には異なる価値観がある。いまある西洋の世界観は、世界の中ではひとつの部分的な価値でしかないのかもしれない。多様性の中でのひとつである。ゴーギャンはタヒチに向かう。しかし、そこはあくまでもフランス領であったのだ。大国の経済に蝕まれている部分も多くある。住人たちは生活のため経済活動をする。しかし、その経済活動はフランス人が持ってきた貨幣価値活動の従者となることでもあった。

ーこのことは世界史的に、歴史的に永くこの世界に蔓延していることではないだろうか。貨幣経済に向かうことは歴史的な必然性かもしれないが、通貨で人身を買うことは、この現代でもあちこちにある。豊かさは経済と連動するという絶対的価値観。消費資本主義から金融資本主義。米国、日本、沖縄、ヨーロッパ、世界の隅々までこの価値観である。ー

 ゴーギャンは何を見ていたのだろう。タヒチは、楽園ではなかったのだろうとわたしは思う。彼の哲学的な作品がそれを物語っているように思えてならない。そしてこれは、人類全体が真摯に向き合う必要があるように思う。
 絵を描くために、タヒチに来たのであるが、沖仲士のような労働で生活をする。やがて、マルキーズ諸島に向かうが、そこでも西洋人との争いを起こしてしまう。
 わたしは思う、求める場所は、南国の島であっても西洋的価値観に侵されていない場所でなくてはならなかったのではないか。

 おだやかで、ゆったりとした現地の風景と人々。ゴーギャンが愛してやまない世界があますところなく描かれていた作品であった。テーマがあちこちに拡散するのではなく、タヒチでの少女テフラとの生活を中心にした作品。しかし、考えるべき枝葉が随所に抑制されて散りばめられていた。多彩な作品で圧倒的な存在を見せているヴァンサン・カッセルがいい。
 

 我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか。この作品につきる。

                     (渋谷「ル・シネマ」にて)