2015年9月20日日曜日

フリーダ・カーロの遺品ー石内都、織るようにー

 フリーダ・カーロの遺品ー石内都、織るようにー       

監督:小谷忠典                       2015日本

 メキシコの代表的画家、フリーダ・カーロ。過酷な人生を生きた人だ。小児麻痺で障害を持ち、また交通事故で瀕死の重傷を体験する。そんなフリーダの遺品が公開され、写真家石内都が撮影を依頼された。石内都1947年生まれの写真家。濱谷浩、杉本博司に続いて、日本人3人目となる「ハッセルブラッド国際写真賞」を受賞した写真家である。俗に写真会のノーベル賞と言われる。フリーダの着ていた服、足の高さが左右違うブーツ、さまざまな物が公開され、その中にあるフリーダの魂までも写し出そうとする。そんな石内の撮影の様子を取材しているドキュメンタリーである。フリーダ・カーロとはいったいなんなのだろうか。たんに画家というだけにとどまらない、メキシコの魂なのかもしれない。もちろん彼の地でもマイノリティーではあるが、マイノリティーであれば、マイノリティーであるほど、世界的普遍性があると考えるが、どうだろうか。
              (8・27「シアター・イメージ・フォーラム」にて)

暴政ー政治の崩壊ー

 日本には「政治」は存在しない。政府はある、政党もある、内閣もある。しかし、「政治」は存在しない。「人々の意見を聞き、判断し、修正を試みる。」そもそも「議論の意味」というのはそこにある。『安保関連法案』に関して、いったん内閣で決めたら、だれがなんと言おうと、修正すらしない。これを世界史的認識では「独裁制」と言う。
 「民主主義」とは、「国体と考え、国の幸せのために意見を聞き、それを思想の根底に置き、厳しく自己を律し、それを行動の方針とする。」ことであるはずである。①一部の権力者が、②その人たちだけの考えや思想だけを③正しいものと考えて、他の④意見を聞かずにものごとを⑤推し進めることは、近代以降の政治的な理念ではない。
 説明しなくても理解できることだと思うが、①は安倍総理とそれをとりまく政治家、経済界、米国。②は安保法案。③正しいので、丁寧に説明してゆく。④反対する人々。⑤強行採決。歴史的独裁者の論理がいかんなく発揮された結果となった。

 兵器は消費される。需要が増えると、供給も増える。弾薬を米軍に供給したら、それは無償なのだろうか(そうだよな)。すると、その製造費はどこから捻出するのか、普通に考えれば、日本国民の税金。当然そのような考えが導き出せる。とすると、さまざまな税金が高くなる。軍需産業に関わる企業は、仕事が増える。兵器はそもそも高額な製品である。軍需産業はアベノミクスの何本目の矢なのだろうか?どこかにものすごいメリットがなければ、これほどの強引な政府は生まれないだろう。「安全・平和」というキーワードでは、「安保法案」は説明できない。

2015年9月5日土曜日

野火

  野火        監督:塚本晋也          2014日本

 塚本晋也らしい作品。でも、「らしい」とはなんだろろうかと聞かれると、スタイルが「スプラッタームービー」的なシーンがあちこちにある。ということになるだろうか。しかし、塚本の作品が、それを材料にして本質的な何かを暴き出しているということは確かである。この作品『野火』は大岡昇平の代表作であることは誰もが知っていることだろうが、「もっと話題にされてもいいのではないか。」そんな思いが塚本の中にあるのではないだろうか。そして、今こそこの作品を作らなければならない、と。
 現実の戦地というのは、大岡昇平の作品にあるように。そして映像化すると、塚本晋也の作品のようにある。しかし、今の人々はそれを知ろうとしない。概念や観念だけが、イデオロギーだけが先行し、いつかきた道をもう一度進もうとしている。生々しい現実があるのだ。だだこの塚本作品のなかには、原作にあるような主人公田村の内面世界をえぐり出すような表現はない。原作は「神」という言葉がたびたび出てくる。そして田村の過酷な内省がある。哲学書のようでもある。塚本は、いったんそれを封印し、現実そのものを提出した。場面場面はじつに原作通りである。
 いまこの作品を映像化したのは、非常に意味のあることだと思う。映画館には、年配の人がたくさん集まっていた。
 田村一等兵:塚本晋也  安田:リリー・フランキー  伍長:中村達也
 永松:森優作      分隊長:山本浩司      妻:中村優子


                   (8月1日 『渋谷ユーロスペース』にて)