2015年9月20日日曜日

暴政ー政治の崩壊ー

 日本には「政治」は存在しない。政府はある、政党もある、内閣もある。しかし、「政治」は存在しない。「人々の意見を聞き、判断し、修正を試みる。」そもそも「議論の意味」というのはそこにある。『安保関連法案』に関して、いったん内閣で決めたら、だれがなんと言おうと、修正すらしない。これを世界史的認識では「独裁制」と言う。
 「民主主義」とは、「国体と考え、国の幸せのために意見を聞き、それを思想の根底に置き、厳しく自己を律し、それを行動の方針とする。」ことであるはずである。①一部の権力者が、②その人たちだけの考えや思想だけを③正しいものと考えて、他の④意見を聞かずにものごとを⑤推し進めることは、近代以降の政治的な理念ではない。
 説明しなくても理解できることだと思うが、①は安倍総理とそれをとりまく政治家、経済界、米国。②は安保法案。③正しいので、丁寧に説明してゆく。④反対する人々。⑤強行採決。歴史的独裁者の論理がいかんなく発揮された結果となった。

 兵器は消費される。需要が増えると、供給も増える。弾薬を米軍に供給したら、それは無償なのだろうか(そうだよな)。すると、その製造費はどこから捻出するのか、普通に考えれば、日本国民の税金。当然そのような考えが導き出せる。とすると、さまざまな税金が高くなる。軍需産業に関わる企業は、仕事が増える。兵器はそもそも高額な製品である。軍需産業はアベノミクスの何本目の矢なのだろうか?どこかにものすごいメリットがなければ、これほどの強引な政府は生まれないだろう。「安全・平和」というキーワードでは、「安保法案」は説明できない。