2012年11月3日土曜日

希望の国


 脚本:監督:園子温 2012 日/英国/台湾
もちろん、3•11が下敷きにあることはいうまでもないが、時は東日本大震災の後の長島県という架空の地域。3•11の数年後という設定は、いつでも第二第三の3•11は起こるのだということを暗示している。酪農家の小野泰彦(夏八木勲)は、痴呆症を抱えた妻智恵子(大谷直子)と、息子夫婦洋一(村上淳)いずみ(神楽坂恵)の四人暮らし。幸せな日常であった。そこに大地震が発生し、村の原発が事故を起こす。
 一瞬にして180度変化してしまうのは、破壊と汚染というフィジカルなものばかりではなく、人間関係や感情があっという間に非情な変化を見せてしまう。それは、人類がその歴史の中でいやと言うほど知らされて来たものではないだろうか。町•村•家族などの関係が壊れて行くのだ。村の役人は、最後に残った康彦と智恵子をなんとしても退避させようとする。それが彼らの仕事であり、国家から命令されたものである。しかし、ふたりは出ていこうとしない。自分が生まれ育った土地であり、たくさんの牛たちがいる生活の場である。思えば、あのテェルノブイリの事故で大量の放射線を浴びたベラルーシの老人達も、自分たちの土地から出て行かなかった。退避させようとする役場の若者は、逆に危険な場所に説得しに行かなければならないことに被害意識をもつようになる。この家族は自分の意識をしっかり持とうとする。しかしそれが周囲から差別される原因になってしまう。私たちは、このようなことを忘れてはいけない。何かを武力的なもので解決しようととすれば、そこには必ずと言っていいほど、のみこまれる普通の人々がでてくる。そしてそれは、ひとりふたりではなく何百何千という国民なのだ。この図式は過去現在そして未来にも続く。
 「希望の国」という題名は、皮肉に思える。たしかに明日への希望をつないで生きようとするヒトの意識は感じないわけではないが、これは希望のではない。個々の人々のまったく個人的な心の覚悟性にささえられた希望である。
 それにしても役者夏八木薫がいい。最初から最後まで、夏八木薫だ。わたしもこんな老人になりたいと思う。