まず、作品をつくりはじめたとき、『UNTITLED』や『WORK』という題名にした。20年前のことである。作品から物語性をなくすためのひとつの方法であった。文学的表現ならば文章で表現すべきであり、現代美術は視覚表現であり、他の要素を持ち込むべきではないと考えたからである。もちろんこの考えは現在でも継続して私の考えの根底にある。
しかし、人々は題名を手がかりにして作品を読み取ろうとする。題名がないと不安になると言われたこともある。そんなこともあり、少しずつ私の軌道修正ははじまったように思う。
その後『UTAKATA』や『UTUROHI』という言葉が作品の題名になった。これにその年を入れ、ナンバーを入れて題名が完成する。例えば、『UTAKATA 2014.5』というように。2014年の通し番号5の作品という意味である。では、この『UTAKATA』とは何か。日本語で発音すると、「うたかた」となる。発音された瞬間、日本語を母国語とする人にとって、意味が明らかになるはずだ。漢字で表記すると「泡沫」となる。森鴎外の「うたかたの記」や鴨長明の「方丈記」が思い起こされると思う。「よどみにうかぶ、うたかたは、かつきえかつむすびて、ひさしくとどまりたるためしなし」という表現。「まさにこの世のありようは、ほんの一瞬の現象にしか過ぎないのではないだろうか」私はことあるごとにそのような考えにとらわれる。『UTAKATA』は意味のとりやすい日本語表記ではなく、あえてローマ字表記にした。ゆっくりと発音して欲しいと思ったからである。U•T A•K A•T A と口からでた音をゆっくりと心に入れて欲しい。言葉の真の意味はゆっくりと言うことによってはっきりとしてくると思うからである。はじめてその言葉を発する者のように。
「UTAKATA」が続き、その後あらたに「UTUROHI」という語も使うようになった。意味としては「うつろい」なのだが、発音すると「うつろひ」となる。まるで歴史的仮名遣いだ。ところが、フランス語のH(アッシュ)やイタリア語のH(アッカ)など、ボルトガル語やスペイン語などを含む、所謂ロマンス語では「H」は発音しない。ということは「うつろい」となるのだろうか。そんなことを考えるとなんだか興味がつきない。
「UTAKATA」も「UTUROHI」もせかいの儚さや脆さや仮の世のことを意味する。私の思考のなかでは、「世界は畢竟ほろびゆくものの一過程の姿」である。
個展会場のOギャラリー入り口の右の壁は、「UTAKATA 2014 四」という作品群である。「四」と は、数値の4ではなく、四方などというもののようなある絶対的な存在を意味する。具体的には、「東西南北」という「世界」そのものを表す。
奥に向かって右は「UTAKATA 2014 崑」という。
「崑」は、「崑崙山」という概念を表す。崑崙山とは、中国の西部中央アジアに位置する大山脈である。そしてここは古の伝説の場所であり、仙界であると言われる。八仙が住む場所であると伝えられている。「崑」は「混沌」とつながり、「カオス」を示すとも言われる。「混」は左の作品「UTAKA 214 混」である。
そして、奥の三つの作品は「UTAKATA 2014 「途」である。「途」は「みちすじ」「道理」「教え」などの意味ががあるが、「三途」の暗喩である。その地にたどり着くのは、けして不幸なことではなく、誰でもがいったんはたどり着かなければならない地である。それは祝祭である式日なのである。
L字型の空間の奥「式日」の場所は、辰巳の方角にあたる。辰巳は吉方である。
もうひとつ、こんな壁面がある。
立てかけた作品5枚。5であるのに「−4」という作品群。1枚のことか、あるいは−4ということが我々の存在のことか、個としての存在の意味を問う。
以上のようなことば遊びが、この個展のなかに隠されている。
2014年8月3日 8:10am