2019年8月28日水曜日

山本弘展(曽根原正好企画)



 2019年8月19日から25日まで、渋谷のアートギャラリー道玄坂で開催された「山本弘展」。23日、ユーロスペースで「アートのお値段」というアメリカのドキュメタリーを観て、その足で向かった。オークションで億単位の値がつくビッグスターたち
   の映像を観た後でもあったので、ことさら山本弘という画家の存在に感慨深いものがあった。


 痕跡がいい。きれいに塗り分けられた画面ではなく、何かを確かに描こうとしている。基本は速書きだろうが、その確かな痕跡は描いている画家の息遣いが感じられる。


 題名が『雪の三叉路』なるほどそう言われれば、上にある黒い形は電信柱だということが分かる。そして、それがキツカケで画面の中に黒い十字が登場するものは、全て風景画であると判断できる。左下にサインの弘の字が見えるが、この作者のサインは単なるサインの意味を超えて、画面の一部になり構成要素となっている。ところどころの黒と電信柱の黒とのバランスがきちんととられている。他の作品を見ても、その画面の色彩とサインが見事に調和がとれている。雪深い東北の街で育った私には、この画面がよくわかる。


 おもしろい、とてもおもしろい。人間の顔なのだろうか、それとも何か絶対的なものなのか。さまざまに見えてくる。そして見る者の経験値によって変化する。作者の心は計り知れないが、躊躇と決断、自由と抑圧、それぞれ背反するものがせめぎあっている。アンビバレンツではなく、それらがパラレルに持ち堪えられている。そうだ、これがこの人の本質なのかもしれない。






 人なのか、鳥なのか。私の好きな烏天狗にも見える。それなりに経験値を重ねると、どんなものでも何かに似ていると感じる。何かに似ている、でもそれは何かなのかよく分からない。しかし、分からない何かを知ろうとする。それでいいのだ、それこそがいいのだ。



 大胆な決断。憂苦懊悩の果てにたどり着いた大いなる決断とでも言えそうな描画。精神的な画面に感じる。たぶん画家自身はそんなことなど思っていないだろうが、私は画家の潜在意識の問題だろうと思う。





 なんという美しい画面だろう。この引っ掻いた線は、これ以外の方法はない。断固として必然性がある線。種子のようにも見えるが、これは想像、創造、生命、自然、あらゆるものの始まりと宇宙だ。




  『子供』たしかに子供に見える。題名がなくても子供に見える。なぜだろう。子供、この不確かに永遠なるもの。子供は子供であり続けることができない。社会的な価値もまだなく、ただそこにいる。意味づけから離れて、ただそこに存在していることができるのは子供だけなのかもしれない。子供のレーゾンデートルは、子供という存在そのもの。タブララサなのか。哲学的な命題にどんどんはまって行く。



 これもいい作品だ。見ようによってさまざまに見えてくる。

  挑むような視線を感じる。




 形を描こうとしているが、どんどん形から離れて行く。描こうとしているから、そこからどうしようもなく離れて行く。それは「自由」だ。最初から自由があったわけではなく、苦悩から得られたもの。

 黒十字が見えるので、これは風景か。手前の三角はひとびとが暮らす屋根と見える。向こうに聳えているのは山。筑豊のボタ山にも見えるが、この感覚も筑豊というのを知っているから出来る判断。

 作品をよく具象と抽象と分けるが、そのようなことになんの意味があるのだろうか。全ては具象であり、全ては抽象だ。形を追求すれば追求するほど形から飛び出してしまう。世界は混沌としている。そこになんらかの形を見つけようとする。
 
 画家にとって、描くということは生きることそのものであったと思う。描くことが自分を救い出してくれる。現在のアート(あえてアートという言葉をつかえば)状況はどうであろうか。現代美術も、商業化され売買される。みなが売れるアーティストを目指し、メセナ活動という美しい誘惑もある。おしゃべりが得意で、自己PRが長けていて、アート業界を渡って行く。それを一概に否定するつもりはないが、私が思う美術とはベクトルの方向は異なっている。私が山本弘という画家に惹かれる理由でもある。
 生前ヒロポン中毒であったらしいが、当時ヒロポンは安価に薬局で売られていた。坂口安吾や織田作之助も中毒だったし、太宰治はパピナールだった。折口信夫はコカインだった。そんなことはどうでもいい、そんなことでこの人の価値は微塵もゆるがない。
 
 山本弘は1930年6月15日の生まれ、妙なことに私は昭和30年6月15日の生まれ。なんの意味もないが・・・。