2012年3月1日木曜日

「凪」の音と「荒れ」の音

 沖縄の三線と津軽の三味線について考えていた。ルーツを同じくする三味線であるが、その音色と奏法が見事に対極にあるように感じていた。なんべんもなんべんも聴いてきた三線の音色。自分自身でも少し弾いてみたりもする。
 沖縄のラジヲ放送を聴いていたときのことである。フッ、といままで思ってきたことに自分なりの結論づけができた。それが「凪」と「荒れ」である。三線の曲が、短いフレーズでくり返され、それで歌者が語るように歌う。このくり返しの音曲が、思いの外多いのである。琉球の浜辺に打ち寄せる穏やかな波を私は思い描いたのである。くり返しくり返し打ち寄せる波を、三線で表現するとこのようになるのではないかと思った。それも凪の波である。そんな浜辺で琉球の民は、はるか海の向こう、ニライカナイに向けて語って来たのではないだろうか。もちろん、「沖縄は台風の通り道だから、そんな凪いでばかりではない。むしろ荒れているときのほうが多いんじゃないか。」という反論はあるだろう。しかし、台風は危険であるので、琉球ではみんな屋内にとどまって、台風が通りすぎるのをひたすら待っている。台風一過のときほど空は晴れ上がり、海は美しく輝いているだろう。と思えば、台風の数ほどその後の海の美しさもあるのではないだろうか。浜に出て奏でる三線は、おのずとその自然と溶け合うようになる。
 では、北東北の極にある津軽三味線の曲はどうだろう。棹の先から根元にいたるまで使った荒れ狂うほどの曲ではないだろうか。そしてもちろんこれは台風ではなく、年がら年中荒れている海である。生活するためにはその荒れ狂う海と共生しなければならず、雪に閉ざされた冬も長い。自然と対峙して行く姿がそこに現れているように思えるのである。
どちらも、貧しい人々であったに違いない。