2015年8月18日火曜日

暴政ー戦後70年談話ー

 8月13日の首相談話。「」内はママ。
 「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、ひろがって」いた。その「波」が「アジア」にも押し寄せ、日本もその「危機感」が「近代化の原動力となったことは、間違い」ない。植民地主義が日本の近代化を推し進めた、と読み取れる。つまり武器の進化とその利用は近代化にとっては必要なものなのだろうか。
 「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ」た。日露戦争の勝利は小国日本が大国ロシアに勝利した。たしかにそうだろう。しかし、勇気づけて我々日本国は、アジアやアフリカを全面的に助けたのだろうか。アフリカに何か協力したのか、戦後には海外協力隊などが作られたが、その当時はどうだったのか。アジアに対しては、満州国を作ったり、創氏改名などを行ったり、これは侵略ではなかったのか。
 「欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進め」日本は「大きな打撃」を受けた。日本は「孤立」し、「力の行使によって解決しようと試み」た。「政治システムは、その歯止めたりえなかった。」
 ここまでは、まるで歴史の教科書を読むような内容だ。軍部と政治家の遊離を述べているのだろうか、であるならこの経験で、軍事力を抑えて、政治力で進まなければならないということであろう。そのことを言わなければならない。現代の日本国が、かつての行動をどのように評価し、今後どのように進まなければならないのか、この時点でのべなければならないように思う。
 満州事変の後、日本は「『新しい国際秩序」への『挑戦者』となっていった。」そして「戦争への道を進んで」行った。「挑戦者」とはなんだ。「挑戦者」とは困難なことに立ち向かう人のこと、「反逆者」ではなかったのだろうか。

「戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。」

犠牲になった、犠牲になった、という語。誰が何をしたのか、アジアの人々が犠牲になった。誰のどのような行動によって犠牲になったのか、第二次世界大戦の犠牲者と言えば、責任の所在がわからない。「断腸の念」だけなのか、これは個人の思いの表現であって、国家元首の公的な言説でない。この部分は、感傷的な表現が多く、談話に長々と述べる意図は何か、悲しみの共有者であると言わんばかりの言、あなたのお爺ちゃんもあなたも、そのような辛酸を舐めてはいない。元首として言うなら、そのことの責任はどこにあったのかに触れなければならない。
 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

 我が国日本はどのような態度をとり行動するのか、国外で武器を使用しないという宣言として理解していいのか、そうならば集団的自衛権と真っ向から反対する行動ではないのか。国外に出ることは、集団的自衛権では当然の行動。では武器を使用した場合は、なんという説明をするのか、予想としては『相手から攻撃されたので、自衛のための武器弾薬の使用である』というのだろう。でもこれは論理矛盾である。「植民地支配から永遠に決別」それはそうだろう、でも主語がない。漠然としている。

 「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。」

 表明してきました。あなたはどうなのですか。

「中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。」

 残留孤児のひとたちは、中国の人々により自分の子としてちゃんと育てられてきた。現代中国の政治家はどうかわからないが、都市を離れた農民たちのなかに、このような深い思いやりの心を持った人々がいることに感謝しなければならない。

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

 国家として宿命を負わせたのです。ドイツでは負の遺産として後世に伝えているといいます。負の遺産として伝えなければ、誰かのようにまた軍備使用可能組織を国外に派遣しようとする無知蒙昧な無自覚な人を生み出してしまうのです。賢者は歴史に学ばなければいけません。

 「そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。」

 力によって打開しようとした。そうです、帝国軍の戦闘行為です。これによると、集団的自衛権は行わないと理解していいのか。法の支配を尊重するというのは、憲法を勝手に解釈しないと理解していいのか。現政権と違うのではないか

 「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。」

 主語がない。5W1Hをはっきりさせなければならないように思う。戦時下、具体的に場所は?多くの女性、どこの国の女性?誰が傷つけたの?国家元首として明確にしなければならない。歴史を振り返るということはそういうこと。


 安倍派の経済評論家などは、絶賛している。なぜか。軍事関係製品は日本にとって大きな経済成長を目指せるからだろう、おそらく。

 談話とは何か、天皇陛下の方が、しっかりした言葉で伝えている。