2019年9月18日水曜日

9月の映画狂No.4


 ラスト・ムービースター

      監督:脚本 アダム・リフキン 2017年 アメリカ 

 バート・レイノルズはハリウッドスターだ。ハリウッドが似合うというよりハリウッドそのものと言ったほうがいいかもしれない。何が言いたいかというと、カンヌやベネチアと対局的な存在だということである。この作品の中で頻繁にクリント・イーストウッドと比べる場面があるが、スターのヴィッグ・エドワーズ(レイノルズ)は、作品の選択がいけなかった、と言う。ふたりはともに活動期を同じくした俳優であり、アクションを中心とした俳優だった。しかし、イーストウッドは徐々に作品の質にこだわるようになった。イーストウッドの評価はいまでは硬質で良質な作品を生み出す映画作家である。もちろん往年のアクションスターが、そのままレベルを保ちながら老年まで続けることはないだろう。しかし、この主人公エドワーズは晩年を迎えても、ジタバタジタバタしている。このジタバタ感がなんとも愛しいのだ。思えば、ほとんどの男たちはこのジタバタで老後を迎えているのではないだろうか。
 往年のアクションスターエドワーズ(バート・レイノルズ)は、ひとり豪邸で過ごしている。体も思うようにならず、愛犬と寄り添いながら生活していたのだが、その愛犬も老犬となり余命を全うする。喪失感におそわれるエドワーズだが、そこにファンの若者から映画祭への招待状が届く。彼は友人に説得されその映画祭に老体を引きずるようにしして参加するが、なんとその映画祭は場末の居酒屋で開催される若者たちのお祭り騒ぎだったのだ。憤懣遣る方無いエドワーズと若者たちのゴタゴタジタバタが、なんとも言えないユーモアに包まれ、優しい作品になっている。エドワースと若者たちはお互いに理解し合い、相互の信頼と尊敬が深まる。
 バート・レイノルズはなんともいい表情だ。人としていい年の取り方をして来たのかも知れない。昔は性欲男にしか見えなかったが、老年のレイノルズは悲哀がに滲み出ていていい。昨年2018年、82歳の人生を終えた。