2019年9月23日月曜日

9月の映画狂No.7


今さら言えない小さな秘密

               原題:RAOUL  TABURIN
                                                              
                                                               監督:ピエール・ゴドー  2018年フランス
 楽しい作品。ジャン=ジャック・サンペ(作家・イラストレーター・漫画家)の絵本が原作。脚本は『アメリ』のギヨーム・ローランが関わっている。楽しい作品ではあるが、楽しいだけではなく、少し切ない。しかし主人公ラウルにとっては少しどころか、人生最大の苦痛なのだ。個人にとっては最大級の問題だが、他にとってはなんということもない小さなこと、そこがユーモアの源泉なのかもしれない。20代後半のころギリシャ美術史家の故前田正明先生から話を伺ったことがある「一般庶民の悲劇はコメディであり、王侯貴族の悲劇がトラジディだ」と。90分のなかで、ほんの一言であったが未だに忘れることができない話だった。この作品を観たときそのことが思い起こされた。
 南フランスのとある村、ラウル・タビュラン(ブノワ・ボールヴェールド)は評判のいい自転屋さんだ。あっという間に不具合を直し、村人は自転車のことをタビュランと呼ぶようになった。美しい妻(スザンヌ・クレマン)と、ふたりの子供に恵まれ、穏やかな村の人々に囲まれた温和なおじさん。しかし彼は自転車に乗れなかったのだ。これが彼にとって生涯守るべき秘密だったのだ。誰も知らない真実。何かに理由をつけて自転車に乗らないようにしていたのだが、有名な写真家が村に現れ、彼を取材したいと言い出した。この窮地をどうしたら逃れることができるのか、策略が空回りし続ける。
 私などは、自転車に乗れないぐらいなんでもなかろう、と思うのだったが。作者サンペは幼少の頃から、貧しい生活を支えるための道具として自転車は必需のものだった。しかし思えば、洋の東西を問わず、昔の自転車は仕事で使うものだった。古いイタリア映画でも粗末な自転車はよく出てくる。中国映画にだって出てくる。しかし現在はピチピチのサイクルジャージに身を包み、高級なロードレーサーをかっ飛ばしている中高年のなんと多いことか。フランスはましてトゥール・ド・フランスの聖地ではあるまいか。フランス人は自転車に特別な思い入れがあるのだろうか。余計な方向にずれてしまったが、小さな秘密が劣等感となることは多いが、誰もがそんなことを抱えているのではないか、いっそ言ってみたら心が軽くなり、みんながほっとするのかもしれない。
 面白く楽しい作品のなかに、とても大切なことがこっそり隠されているような、良質の作品であった。
 ひとこと、邦題がまたまた客よせ意識。「ラウル・タビュラン」という個人名がいいのだ。これは個人の問題が複数の他、つまり世間と言い換えてもいいかもしれないが、その評価の意味を考えさせられていると思うのだ。